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文久3年1月8日(1863年2月25日) 
【京】慶喜、近衛関白・議奏・伝奏を歴訪。
老中格小笠原長行、勝海舟らとともに着坂。
【江】春嶽・容堂・大久保利通、将軍上洛延期を3月中旬までと決める

■後見職・総裁職の上京
京】文久3年1月8日、将軍後見職一橋慶喜が近衛忠煕関白・議奏・伝奏を挨拶のため、歴訪しました。(慶喜は同月5日に入京していました)

同日、老中格小笠原長行が、勝海舟が艦長を務める順動丸で、海路、大坂に到着しました。

参考:『徳川慶喜公伝』2・『勝海舟全集1 幕末日記』(2004.2.28)

■将軍上洛延期運動
【江】文久3年1月8日(、政事総裁職松平春嶽・前土佐藩主山内容堂は、薩摩藩士大久保利通と内談し、将軍上洛延期を3月中旬までとすることにしました

この日、容堂が春嶽を訪ね、将軍の2月上洛は布告したことでもあり、一時の延期ならばともかく無期限に延期というのは適切ではないと意見しました。そこで春嶽は大久保を呼び出して意見を聞いたところ、大久保は<将軍上洛を3月中旬と内決してはどうか。そのように内決の上は、京都においても、将軍の上洛は3月中旬まで延期するので諸侯の上京には及ばないとの朝命が下るよう周旋し、それ以前に入京した諸侯があれば早々に帰国して専ら富国強兵をはかるべきとの朝命を下すことも困難ではないだろう>(参考:久光の建白)と述べたそうです。そして、そうやって時日を経るうちに、島津久光が着京し、国是一定の朝議を促すことができるだろうと付け加えました。容堂・春嶽は異議なく、大久保の意見を採用することにしました。

参考:『続再夢紀事』一(2004.2.28)
関連:■テーマ別:「将軍上洛下準備:京都武力制圧VS幕薩連合の公武合体派会議薩摩藩の将軍上洛延期運動」 ■開国開城:「幕府の公武合体派連合(幕薩連合)策」 「後見職・総裁職入京-公武合体策挫折と攘夷期限」■「春嶽/越前藩」「事件簿文久3年」

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