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元治2年2月7日(1865.3.4)
【京】老中阿部正外の率兵入京。
【京】一橋家黒川嘉兵衛、中川宮に慶喜が聞き取った老中本庄宗秀の使命等を伝える
【京】宗秀、奥向に贈賄工作を行おうとする

☆京都のお天気: 曇 (朝彦親王日記)

>老中本庄宗秀・阿部正外の率兵上京
【京】元治2年2月7日(3.4)、去る5日に率兵上京した老中本庄宗秀に続き、老中阿部正外が率兵上京しました。

【京】元治2年2月7日(3.4)?、老中本庄宗秀は、御所付料理頭の高嶋薩摩守を介して、(奥向への贈賄工作のため)御所に長持六棹を運び入れたそうです。

(2月23日付上田久兵衛演達之趣聞取書(部分)のてきとう訳)
2月5日に伯州候が御着きになり、翌日、高嶋薩摩守という御所付御料理頭とかに依頼し、7日、長持ち六棹かを御所に運び込み、尾張の御末という女房に「賄賂之事」を託したところ、、関白様から御沙汰の趣があり、「此節は種々賄賂之風説中ニ付、末々迄右様之品を受」けぬよう仰せ付け置かれたので断ると言い切って差し返された。致し方なく薩摩守の手元に押付置いたが・・・(後略。2月13日の「今日」にUpします)

<ヒロ>
ネタ元は、肥後藩留守居上田久兵衛が桑名藩公用人森弥一左衛門(常吉)から得た情報を在京重臣小笠原一学に報告した内容となります。聞取書では、7日のうちに賄賂が断られたたように思えるのですが、関白が奥向に賄賂受領禁止を達することが朝議で決まるのは10日のことなので、返品は10日以降かもしれません。なお、長持ちの中身は箱根細工が多く、「格別結構之品」はなかったそうです。(幕府も金欠ですものね・・・)。

参考:(肥後藩在京重臣小笠原一学の)「京都自筆状控」『肥後藩国事史料』5p693 (NDL-DCコマ373)(2019/2/11)

【京】元治2年2月7日(3.4)、中川宮を訪ねた一橋家臣黒川嘉兵衛は、慶喜が前日に老中本庄宗秀から聞き取った話(上京の使命は幕兵による御所守衛と慶喜・容保・定敬東帰、贈賄工作によるこれらの実現であること等)を知らせました。(こちら)

黒川は、また、幕府・老中が関白以下に贈物をした際には、受け取って「彼之眼中ヲバカシ」た上で、(幕府の要請については)宜しからず、難しい、と答える方策を述べました。さらに、「関東之次第、誠ニ陰ニハイ流(異流)之存意相含居候」とも述べたそうです。これに対し、中川宮は、日記に「可悪々々」(悪むべし、悪むべし)と記しています。

参考:『朝彦親王日記』一p144-145(2019/2/9)
関連:■テーマ別慶応1 本庄・阿部老中の率兵上京

>天狗党処分
【京】元治2年2月7日(3.4)、中川宮を訪ねた一橋家臣黒川嘉兵衛は、幕府の天狗党の処刑について、国家を愁えぬ処置だと批判しました。


黒川は、敦賀表で水浪が「無慙至極之死刑」になったのは、実に憐れむべき事で、「幕ノ姦吏暗眼、国家ヲ不愁之処置、誠に可悪(=悪むべし)々々」と言ったそうです。

<ヒロ>
武田耕雲斎らの処刑は2月4日に開始されました(こちら)。慶喜が自己保身のため、幕府(若年寄田沼意尊)に処置を任せた結果ともいえるのですが。天狗党への苛酷な処遇・処刑は、朝廷や諸藩の反発を買っていきます・・・。

参考:『朝彦親王日記』一p145(2019/2/9)
■テーマ別慶応1 天狗党処分と幕府への批判

【京】薩摩藩士大久保一蔵(利通)、着京。(大久保利通日記)

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