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【京】浪士対策 文久3年1月21日、京都守護職松平容保は言路洞開の必要性を後見職一橋慶喜に説きました。 容保は、浪士が国事御用掛の鎖港攘夷派公卿に過激な入説をして、公卿も好んで浪士の言葉を信じ、「浪士が一夕の談話も明日は変じてたちまち詔勅となるもの鮮やかなからざりけり」という状況を憂えていました。そして、この原因は言論が逼塞しているからであり、志士に言論を表白する路を開けば状況も打開できると考えました。そこで、容保は、慶喜に言路洞開を説きましたが、慶喜は浪士の言論を自由にさせるのはかえって騒擾をまねく怖れがあると容保の意見を容れませんでした。 <ヒロ> 容保は、このあと「天誅」事件による公武合体派排斥が相次いだ後の2月4日にも慶喜に再度言路洞開の必要性を説きました。このときは慶喜も承諾したので、前関白近衛忠煕に建白書を提出し、嘉納されることになります。なお、会津本を読んでいると言路洞開は容保の画期的アイデアのような印象を受けることもあるのですが、容保のオリジナルではありません。 関連:■開国開城「「天誅」と幕府/守護職の浪士対策」 <参考>『七年史』・『会津松平家譜』・『京都守護職始末』(2001/3/10) 【京】将軍上洛延期運動 文久3年1月21日、将軍上洛延期周旋に失敗した大久保利通は、久光に上京を促す近衛忠煕関白の直書を携え、鹿児島に向けて出立しました。 関連:■テーマ別:「将軍上洛下準備:京都武力制圧VS幕薩連合の公武合体派会議」「薩摩藩の将軍上洛延期運動」■開国開城:「幕府の公武合体派連合(幕薩連合)策」 参考:『続再夢紀事』一(2004/3/10) |
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