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文久3年1月22日 (1863年3.11)
【京】池内大学暗殺(「天誅」)事件
【江】総裁職松平春嶽、海路上京の途につく。

■「天誅」と公武合体派排斥
【京】文久3年1月22日、儒者の池内大学が上京途中の前土佐藩山内容堂の大坂の旅宿に招かれた帰途に、四人の刺客によって暗殺され、梟首されました

<ヒロ>
池内大学は京都の町人出身の儒者で、中川宮(青蓮院宮法親王)らの侍読もつとめ、公家に弟子を多くもっていたため、安政期の水戸の朝廷への働きかけ(勅定降下等)を周旋していました。安政の大獄のときは潜伏していましたが、京都町奉行所に自首し、和宮婚儀の大赦でゆるされ、大坂に居住していました。町奉行所自首のころから、激派の間では池内が幕府から賄賂をもらって変節し、情報を流しているとの噂が流れていました。下手人は土佐藩の岡田以蔵だといわれているそうです。

池内の耳はその後、公武合体派議奏の正親町三条実愛・中山忠能の邸に脅迫状と共に投げ込まれ、両名の罷免を招きます。

*暗殺行為者にとっては「天誅」という意味で「」づけにしています。(管理人は個人的には単なる暴力・テロ行為だと思っています)。

関連■開国開城:「「天誅」と幕府/守護職の浪士対策」■テーマ別「「天誅」と公武合体派排斥2
<参考>『徳川慶喜公伝』2(2001/3/11)

■総裁職の先発上京
【江】文久3年1月22日、政事総裁職松平春嶽が、勝麟太郎の指揮する蒸気船にて、海路上京の途につきました。ブレーンだった横井小楠を「士道忘却事件」で欠いた上京となりました。

<ヒロ>
春嶽が上京の途に着いたこの日には、すでに京都では将軍上洛延期運動が蹉跌していました(こちら)。前途多難です。

関連■開国開城「幕府の公武合体派連合(幕薩連合)策」 「後見職・総裁職入京-公武合体策挫折と攘夷期限」■テーマ別:「将軍上洛下準備:京都武力制圧VS幕薩連合の公武合体派会議
<参考>『続再夢紀事』一(2004/3/11)

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