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■浪士対策 【京】文久3年2月7日、政事総裁職松平春嶽は、「暴行者を制する」方策として、朝廷が「有志」浪士処遇を決定するよう求める建白を、鷹司関白宛に起草しました。 一昨日、京都守護職松平容保が春嶽を訪ね、浪士を制するために彼らを攘夷の先鋒とするという意見書を渡しました(こちら)が、春嶽はこれに即答しませんでした。「暴行者を制するために外国に対して戦を開く」のは「国家の長計」ではないと思科したからでした。 春嶽は、浪士の活動の裏には、国事御用掛が「暗に此暴行者を頼ミ意見を主張するの後ろ盾と」する状況があるとみて、浪士を制するには先ず、朝議を固めることが重要だと考え、建白書を認めました(提出日は、慶喜・容保らと協議の上で、10日です)。 建白書の概容は以下の通り(意訳、箇条書きby管理人)
<ヒロ> 容保の案には賛成できない春嶽ですが、だからといって、これという代案もなかったようです。朝議を固めるよう鷹司関白に促していますが、まだ、入京したてで、関白の威権に期待していたのでしょうか。急進派が支配する朝廷に下駄を預けて、その結果、朝議が攘夷&浪士の攘夷先鋒で固まれば、却って身動きが取れなくなると思うのですけれど・・・。文久2年時に比べ、(風邪のせいもあるかもしれないけれど)、どうも精彩を欠くように思えます。やはり、「(横井)小楠を欠いた慶永(=春嶽)には、仕事を期待できない」(松浦玲氏@『横井小楠』)のでしょうか・・・。 <参考>『続再夢紀事』一p364、367-369(2004/4/4) 関連■テーマ別「浪士対策」 |
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