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元治元年2月21日(1864年3月28日)
【京】朝廷、将軍に、摂海防御を当面の急務とせよとの勅旨を下す
【京】参豫会議解体:伊達宗城、慶喜を訪ねて「憤励」を求める

☆京都のお天気:晴 (久光の日記より)
■宸翰請書/横浜鎖港問題
【京】元治1年2月21日(1864年3月28日)、朝廷は、将軍に対し、横浜鎖港を成功させること、武備充実については当面摂海防御を急務とすることを命じる勅旨を下しました。


去る十四日勅答書之旨趣、横浜鎖港之一條、御受振不分明に付、一橋中納言へ御尋問候処、尤鎖港の成功は是非裁可奏状、更以書取言上之旨被聞召、尚又以別紙被仰出候通、尽力勉励可致、御沙汰之事

別紙

横浜鎖港之儀、精々可成功、且又諸国兵備充実致、洋夷之軽侮を絶候との趣、達叡聞候処、此上は総国の守備緊要之事に候、差当り摂海之要港急務なる上は、神速其功績相顕れ、人心安堵、不経数年、征夷之実効相行、奉安叡慮候様、御沙汰之事
(出典:『七年史』ニp137採録の沙汰書。管理人は素人なのでそのまま資料にしないでね)

これは、幕府が18日に提出した横浜鎖港の請書(.こちら)を受けた沙汰となります。

■参豫会議解体
【京】元治1年2月21日(1864.3.28)、朝議参豫の伊達宗城は、慶喜を訪ねて「憤励」を求めました。


この日、宗城は二条城に登城し、退出後は春嶽邸を訪ねています。その後、慶喜を訪ねて、「憤励」を求めたところ、慶喜が承知したため、さらに2月11日の建白の主意(こちら)を反復して述べました。

<ヒロ>
春嶽邸を訪ねたのは、慶喜への「憤発」について相談するつもりだったのでしょうか?これまでなら春嶽もともに慶喜邸へ行ってよさそうなのに、宗城単独というのが興味深いです。

参考:『伊達宗城在京日記』p348(2010/4/15)
関連:■開国開城「参豫の幕政参加・横浜鎖港・長州処分問題と参豫会議の崩壊

■その他の出来事
【京】山内容堂、二条城に登城し、帰国願い提出(『伊達宗城在京日記』p328)

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