3月の「幕末京都」 幕末日誌元治1 テーマ別日誌 開国-開城 HP内検索 HPトップ
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☆京都のお天気:陰暖気 (久光の日記より) ■長州処分 【京】元治元年2月23日(1864年3月30日)、筑前藩世子黒田慶賛(長知)は、長州処分に関する建議を行いました。その大意は、急激な処分を避け、まず条理を以て長州藩末家・家老を説諭し、もし服従しなければ、初めて問罪のための軍を派遣すべきというものでした。 <ヒロ> 前日に肥後藩主弟の長岡兄弟が出した建白と同様、2月8日の朝幕の会合で合意した方針(こちら)に沿う内容になっています。ちなみに、筑前藩は2月11日に内達の出た征長軍には含まれていませんが、長州とは地理的にも近いので、なるべく戦争は避けたいとの思いがあるのではないでしょうか。 参考: 『維新史料綱要』五p146、『伊達宗城在京日記』p349(2010/4/15) 関連■テーマ別元治1「長州・七卿処分問題(元治1)」 ■開国開城「政変後の京都−参豫会議の誕生と公武合体体制の成立」「参豫の幕政参加・横浜鎖港・長州処分問題と参豫会議の崩壊」 ■横浜鎖港問題 【京】元治元年2月23日(1864年3月30日)、三条大橋に幕府・将軍後見職一橋慶喜の罪状を挙げて、三港(長崎・箱館・横浜)等を焼き払って神州の武威を輝かすべきだとの落書が張られました。 参考: 『維新史料綱要』五p147、『伊達宗城在京日記』p349(2010/4/15) 関連■テーマ別元治1 「横浜鎖港問題(元治1)」■開国開城「政変後の京都−参豫会議の誕生と公武合体体制の成立」「参豫の幕政参加・横浜鎖港・長州処分問題と参豫会議の崩壊」 ■その他の出来事 【京】伊達宗城、中川宮訪問。種々密談。中川宮、「春岳守護職も不宣」と伝える(『伊達宗城在京日記』p349-351) |
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