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文久3年2月18日(1863.4.5)
【京在京諸大名21名の参内。関白鷹司輔熙により攘夷の勅諚が示される。


■攘夷の勅諚
【京】文久3年2月18日、朝命により参内した在京諸大名21名に対し、鷹司関白は破約攘夷実行の勅諚を示しました。

この日参内したのは、将軍後見職一橋慶喜、前尾張藩主徳川慶勝(容保兄)、政事総裁職松平春嶽、京都守護職松平容保、前土佐藩主松平容堂ら21名でした。

孝明天皇は小御所にて、まず、慶喜、春嶽、容保、容堂に謁見を許し、鷹司関白が攘夷の勅諚を読み上げました。

「・・・蛮夷拒絶の期限(破約攘夷の期限)仰せ出されたので、各、深重の叡旨を欽戴し、固有の忠勇を奮起し、速に掃攘の功を建て、上は宸襟を安んじ、下は万民を救ひ、黠虜(悪賢い夷人)をして永く覬念(日本を覗う気持ち)を絶たしめ、神州の国体を汗損すべからず」

その後、慶喜ら諸大名が再び小御所に召しだされ、鷹司関白から<神宮の警衛、隠岐・対馬等の防禦策をお聞きになりたい>との達しがありました。

参考:『徳川慶喜公伝』2(2003/4/16)
関連:■開国開城: 「後見職・総裁職入京-公武合体策挫折と攘夷期限」■幕末日誌文久3 ■テーマ別文久3年:「攘夷期限

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