幕末京都日誌(過去ログ整理) 事件:開国-開城(マクロな歴史) HP内検索 HPトップ

★文久2年春の島津久光率兵上京(こちら)〜慶応4年春江戸開城までの京都を中心とした幕末政治(と衛士)の々の動きを1日ずつ?更新。(和暦の方は月の満ち欠けに呼応していて、たとえば15日は満月となります)
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4月の幕末京都&志士詩歌

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足利将軍木像鳩首事件桜田門外の変、長井雅楽、清河八郎、沖田総司、伊東甲子太郎、木戸孝允の詩歌計15首(編) 『志士詩歌集』(昭和17年)等より

4月の幕末京都の過去ログリスト (全体の過去ログは幕末京都日誌に整理)

1863(文3) 1864(文4/元1) 1865(元2) 1866(慶2) 1867(慶3) 1868(慶4

幕末関係 ◇御陵衛士(浪士組)関係
1863年4月(文久3年2/3/)のできごと
◆文久3年2/14(1863.4.1):【京】浪士対策(14)後見職一橋慶喜・総裁職松平春嶽・守護職松平容保・松本容堂・伊達宗城、浪士のうち主のある者は国に帰し、主のない者は幕府が扶助すると決定(&浪士捕縛をめぐる春嶽と容保の対立)/国事参政・寄人13名、在京諸大名の招集及び言路洞開を建言
◆2/15(4.2):【京】浪士対策(15)春嶽、浪士処遇意見の内奏のため、中川宮を頼る/中川宮(青蓮院宮)、浪士の影響により、朝廷の幕府に対する嫌疑が強いことを伝える
◆2/16(4.3):【京】浪士対策(15)鷹司関白、浪士処遇を後見職一橋慶喜に任せたいと総裁職松平春嶽に書簡/守護職松平容保に不逞浪士取締の朝命/攘夷親征(1)長州久坂玄瑞・土佐平井収二郎ら、攘夷親征の行幸を議論/【江】水戸藩主徳川慶篤、江戸出立
◆2/17(4.4):【京】浪士対策(16)鷹司関白、容保に不逞浪士取締に関する密書/春嶽ら、浪士処遇を任せてほしいと関白に返書
◆2/18(4.5):【京】在京諸大名21名に攘夷の勅諚が示される
◆2/19(4.6):【京】政令帰一(1)春嶽、政令帰一(大政委任か大政奉還の二者択一)を論じる/浪士対策(17)朝廷、会津藩に学習院警戒に当らせる。/生麦賠償問題(4)英国代理公使ニール、謝罪と償金の返答を要求。返答期限は3/8日
◆2/20(4.7):【京】政令帰一(2)慶喜・春嶽・容保・容堂、政令帰一を論じに鷹司関白邸訪問/攘夷親征(2)長州藩、攘夷祈願の加茂両社・泉涌寺行幸を建議/浪士対策(19)朝廷、学習院における草莽の建言を許す/
◆2/21(4.8):【京】政令帰一(3)鷹司関白、将軍上洛時には大政委任の沙汰あるべきと慶喜・春嶽・容保・容堂に告げる
◆◇2/22(4.9):【京】足利将軍木像鳩首事件(1)/浪士組上京(2)大津の浪士組に在京諸侯への勅諚の一件が伝わる
◆◇2/23(4.10):【京】生麦賠償(5)上京中の老中、返答期限延期交渉を指示/親兵設置(1)朝廷、親兵設置を議論/浪士組上京(3)浪士組入京。清河八郎、朝廷(学習院)への建白を提案/ 
◆◇2/24(4.11):【京】生麦賠償(6)慶喜・春嶽ら、将軍帰府の上での返答&英国への期限延期申入れを議定/幕府、薩摩藩に英国の要求に対する心得を達す/浪士組上京(3)清河八郎、朝廷に尊王攘夷の建白書提出
◆2/25(4.12):【京】生麦賠償(7)薩摩藩吉井幸輔・藤井良節、京都を出発/木像鳩首事件(2)容保、犯人捕縛を決意/ 千葉重次郎、越前藩を訪ね、坂本龍馬について内談
◆2/26(4.13):【京】生麦賠償(8)慶喜・慶勝・春嶽ら、開戦の覚悟を定めること、江戸守衛のため水戸藩主慶篤に帰府を命じること、諸侯帰国の暇を出すことを鷹司関白に請う/木像鳩首事件(3)犯人捕縛(守護職の浪士対策、強硬策に転換)/
◆2/27(4.14):【京】生麦賠償(9)朝廷、和宮守護のための水戸藩主東帰を命じる。諸侯帰国暇の朝命・天皇への直接奏上は叶わず。/親兵設置(2)幕府、親兵設置の諸侯諮問を決定・朝廷、親兵設置を発令/浪士対策(19)容保、浪士に心得違いせぬよう触書/浪士を攘夷先鋒として指揮下にと朝廷に上書/勅諚改竄(3)大原重徳、(薩長融和のための)勅書改竄の罪で辞官・落飾・蟄居に
◆◇2/28(4.15):【京】攘夷親征(3)&親兵(3)長州藩、石清水行幸(親征)及び親兵貢献を建議/生麦賠償(9)幕府、在京諸侯に帰国の達し/浪士組上京(4)御所拝観/清河、安積五郎に書簡を出して京都に招く
◆◇2/29(4.16):【京】生麦賠償(10)水戸藩、東帰の議論・桂小五郎の使者伊藤博文(俊輔)、上京を促す/浪士組東帰(1)浪士組へ、攘夷切迫のため、意見を述べるようにとの達し
◇2/30(4.17):【京】春嶽辞任(1)、総裁職辞職を内決/浪士組東帰(2)東帰・攘夷を命じるようにと学習院に上書を提出
◆◇3/1(4.18):【京】木像鳩首事件(4)長州藩世子、犯人の赦免を願出る。中川宮、容保を批判/浪士組東帰(3)幕府、浪士組東帰を決定/親兵設置(2)間崎哲馬、清河に尽力を感謝/長州・伊藤俊輔(博文)、土佐・吉村寅太郎、清河に親兵周旋を依頼
◆3/2(4.19):【京】攘夷親征(4)賀茂行幸に将軍随従の達し/浪士対策(20)中川宮、江州参集の浪士を鵜殿鳩翁に鎮静させよとの内旨
◆◇3/3(4.20):【京】政令帰一(4)春嶽、将軍家茂に辞任を勧告/浪士対策(21)朝廷より江州浪士鎮静は穏健にとの達文/浪士組東帰(4)鷹司関白より、鵜殿鳩翁へ攘夷のための浪士組東帰を命じる達文
◆3/4(4.21):【京】将軍徳川家茂入京/政令帰一(5)二条城で政令帰一の会議/木像鳩首事件(5)朝廷、犯人の赦免を命じる【江】生麦賠償(11)幕府、関八州の大名・旗本に開戦の覚悟を命じる
◆3/5(4.22):【京】政令帰一(6)後見職一橋慶喜、将軍名代として大政委任の勅書獲得/春嶽、将軍辞表の意見書提出/水戸藩主徳川慶篤入京/木像鳩首事件(6)慶喜、犯人処分委任を請う/【江】生麦賠償(12)幕府、在府大名に開戦覚悟を達する
◆3/6(4.23):【京】木像鳩首事件(7)会津藩士、犯人赦免に猛抗議
◆◇3/7(4.24):【京】政令帰一(7)将軍家茂、参内。勅書が下賜される(ことがらによっては諸藩へ御沙汰あり)/【京】浪士組東帰(5)高橋泥舟、浪士取扱を命ぜられる
◆◇3/8(4.25):【京】将軍東帰(1)慶喜、将軍滞京と水戸藩主東帰を奏請/浪士組東帰(6)東帰が順延される/浪士取扱鵜殿・高橋、残留希望浪士の滞京を認める
◆◇3/9(4.26):【京】春嶽辞任(2)総裁職辞表提出/浪士組東帰(7)幕府、浪士組全員の東帰を決定/浪士組の東帰再度順延/間崎哲馬、清河の訪問を請う
◆◇3/10(4.27):【京】春嶽辞任(3)伊達宗城、翻意を訴える/浪士対策(20)容保、浪士差配を命ぜられる/壬生浪士(1)芹沢鴨・近藤勇ら残留希望浪士17名、会津藩に嘆願書提出
◆3/11(4.28):【京】攘夷親征(4)賀茂行幸/将軍東帰(2)将軍の滞京延期&後見職あるいは総裁職帰府・江戸防禦の沙汰
◆◇3/12(4.29):【京】将軍東帰(3)朝廷、後見職・総裁職いずれかの帰府を催促/春嶽辞任(4)慶喜、春嶽に留任を勧告&生麦事件交渉を依頼/島津久光上京(1)薩摩藩高崎猪太郎、越前藩邸訪問/浪士組東帰(9)藤本鉄石、清河八郎にエールを送る/壬生浪士(2)残留浪士、会津藩お預りが聞き届けられる/近藤勇・芹沢鴨ら清河暗殺未遂?
◆◇3/13(4.30):【京】春嶽辞任(5)生麦事件交渉を断る/浪士組東帰(10)東帰浪士、江戸に向けて出立、浪士藤本鉄石ら、容保と面談。

関連:■開国開城:「後見職・総裁職入京-公武合体策挫折と攘夷期限「天誅と幕府/守護職の浪士対策」「将軍家茂入京-大政委任問題と公武合体策の完全蹉跌」「加茂・石清水行幸と長州藩の攘夷戦争」■幕末日誌文久3 ■テーマ別文久3年:「浪士対策」「攘夷期限」「政令帰一(大政委任か大政奉還か)問題」「将軍東帰問題」「攘夷親征」「親兵設置問題」「生麦事件賠償問題」「将軍上洛下準備:京都武力制圧VS幕薩連合の公武合体派会議薩摩藩の将軍上洛延期運動

1864年4月(元治元年2/3/)のできごと
◆2/25(4.1)【京】長州処分:朝幕、長州藩末家・家老・吉川監物の大坂召命通達/【京】一橋家臣黒川慶兵衛、慶喜は薩摩を「敢えて疑」うわけではないと述べ、春嶽も交えた薩摩・一橋の会合を提案/朝廷、山内容堂に帰国の許可
◆2/26(4.2)【京】幕府、在京諸侯を二条城に召し、国是を諮問/御用部屋入りした久光、書面で意見を出すよういわれる/前尾張藩主徳川慶勝入京/ 【坂】薩摩藩船船主大谷仲之進、梟首される。傍らに長州下士水井精一・山本誠一郎の割腹した遺体(真相は久坂玄瑞の指示による死の強要)
◆2/27(4.3)【京】長州処分:因幡藩主、攘夷の速やかな実行・長州処分寛大を幕府に建議/備前藩主、勅使の長州派遣・三条実美らの京都召還・寛典等を建白/京都町奉行小栗政寧、洛内外の「暴徒」捕縛を命令/春嶽、開国論の薩・越・宇が鎖国論の会津をていよく退けて春嶽が守護職になって朝廷を説得するつもりだとの慶勝の説を宗城に告げる
◆2/28(4.4)【京】長州処分:筑前藩世子、長州藩末家・家老・吉川監物の京都召命を建議/備前藩主、長州藩主父子の処分寛大を幕府に建議/摂海防御:幕府、監察徳永主税、会藩神保修理・秋月悌次郎・小室金吾に摂海巡視を命令/参豫会議解体:前土佐藩主山内容堂帰国の途に/生野の変:浪士多田弥太郎捕縛・刺殺
◆2/29(4.5)【京】長使入京問題:朝廷、長州藩支族・家老等の大坂召命一時見合わせ決定/長崎の勝海舟、長州処分寛大の建議を認めた書を送る/将軍家茂、奥医を容保に遣わす
◆3/1(4.6)【京】春嶽、朝廷尊奉と政体一新を幕府に建議/将軍、容保に軍用金2万両下賜/会津藩士広沢富次郎、長使入京不可を越前藩士中根雪江に論ず。/【長】三条実美、水野丹後・真木和泉守等を従え、長州藩主父子を訪問/藩主、筑前藩世子・備前藩主の使者引見
◆3/2(4.7)【京】朝廷参豫会議:長使入京問題等議論。結論が出ず、朝廷、各諸侯に意見書提出を命じる/升屋宅に将軍・中川宮・久光・春嶽批判の張り紙/越前藩中根、大目付永井尚志に政体一新を説くが容れられず/【長】東久世・壬生、三条と浪士等上京について議す/
◆3/3(4.8)【京】前尾張藩主徳川慶勝、参豫任命・固辞/新選組、再び容保(軍事総裁職)指揮下へとの幕命宗城、中川宮内談p363-364
◆3/4(4.9)【京】朝廷参豫会議:長使入京可否は万一の事態に関するの幕府の「保証」次第(慶喜・容保・久光欠席)/慶喜の欠席に一同不快感【京】保科正之に従三位追贈
◆3/5(4.10)【京】幕府,、長使入京不可決定。朝議、長州藩末家大坂召喚を決定(春嶽のみ参加)。長州藩に通達/春嶽、宗城訪問【京】二条関白・将軍家茂、病床の容保に使者を派遣。容保死去の風説あり/新選組、近藤・土方・沖田・藤堂ら酒宴【江】仏国全権大使ドゥ・ベルクール、後任レオン・ロッシュを幕府に紹介
◆3/6(4.11)【京】参豫解体:島津久光、中川宮・近衛前関白に小松帯刀を遣わし、痛みを理由に参豫辞退・帰国を内請【江】幕府、在府諸侯・有司代表に横浜鎖港に関する勅旨・将軍請書を示す。/大久保一蔵(利通)、宗城訪問
◆3/7(4.12)【京】将軍参内。叙任を謝す/【長州】藩主毛利敬親、藩士有福半右衛門に上京を命じる。家老国司信濃・遊撃軍らの上京を京都留守居に知らせる
◆3/8(4.13)【京】中川宮邸会議:中川宮ら、慶喜に幕政一新の努力を求める/薩藩家老小松帯刀、一橋家・黒川慶兵衛に慶喜主催の諸侯集会再開を求める/越前藩、幕政一新のため、春嶽が慶喜に奮発・担当を勧告すべきの藩議
◆3/9(4.14)【京】参豫解体:慶喜、参豫諸侯の朝議参豫辞退を願い出る。朝廷参豫会議の廃絶へ)/二条関白、慶喜に、容保の守護職復職が遅れている理由を質す
◆3/10(4.15)【京】筑前藩世子、長州は容易に悔悟しない様子だと宗城に伝える
◆3/11(4.16)【京】春嶽、8日の藩議に基づき、慶喜に幕政一新を説く。慶喜、常にない「冷淡」な対応。
◆3/12(4.17)【京】久光・宗城御用部屋で用談/春嶽、宗城に書を送り、幕府の越・薩・宇の忌避及び水・因の入説の影響について相談/慶喜の総督就任:中川宮、春嶽に幕府から慶喜の「守衛総督」就任内願fがあったこと伝える/、久光の帰国願い勘考について内談。
◆3/13(4.18)【京】参豫会議解体:春嶽・宗城の参豫辞任が許可される。/春嶽の守護職辞任:越前藩、春嶽の守護職辞任・帰国を内決する。越前藩、幕府に藩兵到着までは従来通りの会津藩による京都警衛を要請/ 【京】容保再任:一橋家臣平岡円四郎、会津藩士小室金吾に容保の守護職復職の可能性を質問/
◆3/14(4.19)【京】参豫会議解体:久光・容保の参豫辞任が許可される/春嶽の守護職辞任:越前藩、横浜の外国新聞の春嶽の開港上書案報道の事実を以て守護職辞任の理由とすることを決定(ただし誤報)
◆3/15(4.20)【京】春嶽の守護職辞任:中根雪江を遣わし、守護職辞退の意を慶喜に伝える(平岡・黒川応対)/中根、中川宮にも伝達。中川宮、薩越退京後の政情(水・因・備の勢力拡大)を危惧/川越藩家老山田太郎左衛門、越邸を訪ね、朝幕の不評判を理由に春嶽の辞任勧告(狛山城対応)/午後、宗城、中川宮訪問
◆3/16(4.21)【京】幕府、朝旨に基づき、在京諸侯に国是を諮問/春嶽の守護職辞任:中根・酒井、一橋邸を訪問。春嶽の解免を求め、辞表案を示す(黒川対応)/慶喜の総督・指揮就任:宗城・久光、慶喜の総督内願は「姦計」と歎く【外国】横浜鎖港交渉使節、パリ到着。
◆3/17(4.22)【京】春嶽の守護職辞任:越藩中根、春嶽の辞表内願書を川越藩家老山田太郎左衛門を介して総裁職に提出/山田、幕閣・慶喜の越への猜疑を語る/春嶽、宗城に書簡をもって辞任内願の件を報じる/【京】参豫の幕政参加:久光・宗城、御用部屋入り辞退を慶喜に申し出る/【京】四条橋に、1月27日の将軍への宸翰は薩藩高崎猪太郎の草案であり、高崎を斬戮との落書p383
◆3/18(4.23)【京】春嶽の守護職辞任:越藩中根・酒井、平岡を介して慶喜に辞表内願書提出。二条関白・中川宮・宗城・久光にも次第を報告/容保再任:二条関白、会津藩に守護職復職を速やかに請けるよう促す+会津藩、容保の病を口実に辞退の方針/慶喜の総督・指揮就任:宗城、慶喜の「京摂守衛総督」就任に関する疑惑を久光に伝える【長州】藩主毛利敬親、末家ら3名の大坂召命につき、藩士に父子どちらかによる率兵・大挙上京を告げる。また、吉川監物に召命を断らせる。
◆3/19(4.24)【京】春嶽の守護職辞任:所司代、会津の警衛箇所の越藩への引渡し見合わせを通達/容保再任:会津藩、容保の守護職再任の可能性を江戸に報知【長州】久坂玄瑞、水戸藩士山口徳之進と帰藩。大挙上京延期
◆3/20(4.25)【京】慶喜の総督・指揮就任:宗城、山階宮に慶喜の「京摂総督」内願の「深意」について注意喚起/【京】参豫の幕政参加:慶喜、宗城・久光の御用部屋入り辞退却下を伝える/薩藩大久保、宗城訪問)p387-388【京】幕府、在京老中有馬道純に帰府を命じる(3月29日着府)/【外国】横浜鎖港交渉使節、仏国外務大臣リュキと会見
◆3/21(4.26)【京】春嶽の守護職辞任:春嶽、守護職辞表を幕府に提出。/二条関白、慶喜に春嶽の守護職解免不可を伝える/宗城・久光内談p389【外国】横浜鎖港交渉使節随員横山敬一、病死
◆3/22(4.27)【京】春嶽の守護職辞任:川越藩、越前藩に二条関白の春嶽守護職解免反対を伝え、朝廷に入説を勧める/慶喜の総督・指揮就任:宗城、近衛家で中川宮・久光と集会。慶喜の任命熟慮を入説。中川宮・近衛前関白、慶喜への懸念から春嶽留任を希望&宗城、中川宮に会越両藩に守護職任命は「御手厚にて可然」と回答/参豫の幕政参加:久光、御用部屋辞退を小松帯刀を以て慶喜に再度申し出
◆3/23(4.28)【京】春嶽の守護職辞任:越藩中根・酒井、二条関白に春嶽の守護職辞職を主張。一橋家平岡、容保の病気快復までの春嶽に辞職猶予を求める/参豫の幕政参加:再度の御用部屋辞退/幕府、守護職・町奉行・新選組に市中守衛を命じ、諸藩の警衛を廃止する/
◆3/24(4.29)【京】将軍参内/幕府に対し、慶喜禁裏守衛総督・摂海防御指揮職。会津藩・越前藩両藩を守護職にとの沙汰
◆3/25(4.30)【京】朝命により、慶喜の後見職解任、禁裏守衛総督・摂海防御指揮職就任/京】慶喜、宗城に総督就任は自らの内願によると認める【京】宗城、水野老中に慶喜の総督願望の「深意」について注意喚起

関連:■開国開城「政変後の京都−参豫会議の誕生と公武合体体制の成立」「参豫の幕政参加・横浜鎖港・長州処分問題と参豫会議の崩壊」■幕末日誌元治1 ■テーマ別元治1 「参豫会議」(朝廷参豫会議二条城会議 参豫会議解体:参豫VS慶喜/幕府) 「将軍の再上洛(元治1)」 「将軍への二度の宸翰」 「参豫の幕政参加問題「横浜鎖港問題(元治1)」 「長州・七卿処分問題(元治1)」 「慶喜vs幕閣」 「長州藩の東上(進発論VS慎重論)」 「会津藩の賞揚」、「会津藩の守護職更迭問題・春嶽の守護職就任問題「慶喜の後見職辞職/総督・指揮職就任」守護職日誌元治1 ■越前藩日誌元治1薩摩藩日誌元治1  ■徳川慶喜日誌元治1  ■長州藩日誌元治1

1867年4月(慶応3年3/)のできごと
◆慶応3年3/5(1867.4.9):【京】幕府、兵庫開港の勅許申請(公議なし)
◇3/7(4.11):【京】伊東甲子太郎・新井忠雄、大宰府から帰京へ
◇3/10(4.14):【京】伊東ら、御陵衛士拝命
◇3/12(4.16):【京】伊東・新井、京都に帰着
◇3/13(4.17):【京】新選組、伊東らの御陵衛士分離を了承
◇3/14(4.18):【京】伊東、御陵衛士の屯所を三条に周旋
◇3/15(4.19):【京】伊東、御陵衛士分離について町奉行・会津藩公用方と会談
◇3/16(4.20):【京】伊東、新選組近藤勇・土方歳三と酒をくみかわす
◇3/17(4.21):【京】伊東、分離後の宿舎が決まらず途方にくれる
◇3/20(4.24):【京】御陵衛士、新選組から分離して三条城安寺へ
◇3/21(4.25):【京】御陵衛士、五条東善立寺に移転

1868年4月(慶応4年3月)のできごと
◆◇慶応4年3/9(1868.4.1):【駿】山岡鉄舟、益満休之助を伴い、大総督府の西郷隆盛を訪問.。西郷、七ヶ条の謝罪条件を示す/【江】敗走の甲陽鎮撫隊、江戸へ
◆3/10(4.5):【水】結城派、会津に脱走
◇3/11(4.3):【江】新選組、最終的な瓦解/【駿】西郷隆盛、江戸に向けて出立
◆3/13(4.5):【江】西郷隆盛、江戸高輪の薩摩藩邸に入る。勝海舟、静寛院宮(和宮)について会談。
◆3/14(4.6):【江】勝海舟・大久保一翁、西郷隆盛と会談。明日の江戸城総攻撃中止が決定。
◆3/15(4.7):【江】勝海舟、松濤権之丞に流山の「脱走」兵取締りを指示/江戸城中の事務を田安邸に移す
◆◇3/16(4.8):【駿】大総督、江戸城攻撃を延期/勝海舟の使者松濤権之丞、五兵衛新田の近藤に
◆3/18(4.10):【江】東山道先鋒総督、尾張藩邸に。
◆3/20(4.12):【京】隆盛着京/江戸処分の朝議、寛大に決まる
◆3/21(4.13):【京】天皇、御所を出立/隆盛、東下の途に/【水】藩主慶篤帰国
◆3/23(4.15):【京】天皇、大坂本願寺に到着
◆3/25(4.17):【駿】隆盛、大総督府に復命
◇4月1(4.23):近藤勇ら227名、流山へ移転
◇4月3(4.25):【江】近藤、新政府軍へ投降

◆◇4月4(4.26):【江】勅使入城・11日の引渡しの朝命を伝達/近藤、板橋の新政府軍に護送される/土方歳三、勝海舟に流山顛末を告げる 
◆4月5(4.27):【江】慶喜、旗本に恭順を諭す/【水】徳川慶篤死去
◆4月7(4.28):【江】慶喜、田安慶頼を通して朝命の請書を提出
◆4月9(4.30):【江】静寛院宮(和宮)、清水邸に移る

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