☆京都のお天気:晴(久光の日記より) ■長州処分 ●長州使者入京問題 【京】元治元年2月29日、筑前藩世子黒田慶賛(くろだ・よしすけ)の建議により、朝議は紛糾し、朝廷は長州藩支族・家老等の大坂召命(2月25日通達)を暫時見合わせることを決定し、長州藩留守居役に通達しました。(幕府からは翌3月1日に通達)。 この日、島津久光は二条関白の内々の下問に対し、本来は京都召命が「至当」だと思うが、(長州使者が藩士を連れて上京することで)「朝廷御動揺公卿方御恐怖生ずる」ことが案じられるので大坂召命を申し出たこと、動揺がないなら京都でもよいが、もし恐怖があるなら、不可であることを伝えていました(ヒロ:前日の宗城との内談で申し合わせた内容です) また、越前藩士中根雪枝は前日の内々の下問に答えるため、二条関白を訪ね、大坂召命が然るべきだが、参豫一同に下問の上決定してはどうかとの意見を述べたところ、関白は、「即時には決定しがた」いので「衆議の上多数により決」めようと述べたそうです。 <ヒロ> ●朝議の動揺への久光・宗城の失望感 大坂召命は、2月24日の朝廷参豫会議(こちら)での結論に基づいて、25日に長州藩に通達されたばかりでした(こちら)。久光は、この朝議の動揺ぶりについて、日記に「大息無極次第筆頭に難尽候事」と記して嘆いています。また、この日、薩摩藩士高崎猪太郎が伊達宗城を訪問し、長使入京問題について近衛家・中川宮に久光が意見を具申したが、参豫に相談した上で決定することになり、26日(ママ)召喚の沙汰は「お見合」となったことを伝えていますが、宗城も「失機会歎息の事」と記しています。 参考:『続再夢紀事』ニp434-435、『玉里島津家史料』ニp754、『伊達宗城在京日記』p358 (2010/4/20) 関連■開国開城「参豫の幕政参加・横浜鎖港・長州処分問題と参豫会議の崩壊」■テーマ別元治1「長州・七卿処分問題(元治1)」 【京】肥後藩主細川慶順弟長岡護久・良之助(護美)、長州末家らに上京を命ずべきと上書。 |
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