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元治元年3月1日(1864年4月6日)
【京】松平春嶽(京都守護職)、朝廷尊奉と政体一新を幕府に建議
【京】将軍、容保に軍用金2万両下賜
【京】会津藩士広沢富次郎、長使入京不可を越前藩士中根雪江に論ず。

☆京都のお天気:晴陰(久光の日記より)
【京】元治元年3月1日、松平春嶽(京都守護職)は、朝廷尊奉に関する意見書(政体一新の必要性を含む)を幕府に建議しました。

この日の営中で朝廷尊奉に関する詮議があったのを受けてのことでした。
(意見書は出張から帰ってからフォローしま〜す)
参考:『続再夢紀事』三p1-2(2010/4/20)
■長州使者入京問題
【京】元治元年3月1日、会津藩士広沢富次郎(安任)は越前藩邸を訪ね、応接した中根雪江に対して長使(末家・家老ら)入京不可を論じました。

広沢は、先日二条関白より下問された長州使者入京可否の件については、万一入京が許されたことで「堂上の心を動かす事」になれば「昨年八月十八日以前の景況に復す」だろう、そうなれば「容易ならざる次第」であり、是非とも使者の大坂滞留を上答すべきだと述べました。

<ヒロ>
藩主松平容保はこの頃、病床にあり、朝議・幕議があっても出席が困難な状況なので、広沢を介して意見を越前藩(朝議参豫であり、後任の守護職でもある松平春嶽)に伝えたのではないでしょうか。

これまで、会津藩士が参豫の御用部屋入り・横浜鎖港問題について他の参豫諸候に働きかけた様子がないので、長州入京に神経を尖らせている様子がうかがえると思います。ちなみに、会津藩は、前文久3年末に、長州家老井原主計が「奉勅始末」を携えて上京を嘆願した際には、その入京に断固反対し、入京を阻止しています(こちら)

参考:『続再夢紀事』三p2(2010/4/20)
関連■開国開城「参豫の幕政参加・横浜鎖港・長州処分問題と参豫会議の崩壊」■テーマ別元治1「長州・七卿処分問題(元治1)」■テーマ別文久3「長州進発&家老の上京・嘆願

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