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文久2年4月10日(1862.5.6) 
【坂】島津久光、大坂着。激派に三度目の諭告。

■久光上京と寺田屋事件
【坂】文久2年4月10日、幕政改革の周旋のために上京途中の薩摩藩国父島津久光が大坂に到着し、藩内急進派に対して、ひそかに諸藩士・浪人に面会し、命令を受けずにみだりに各方面に奔走することがないようにとの諭告をしたそうです。

<ヒロ>
島津久光は、武力と朝廷の権威を背景に幕政改革を断行し、公武一和を推進するため、3月16日に鹿児島を発ち、東上中でした。このころ、京阪には、久光の上京をを討幕挙兵の意図ありと信じて、西国諸藩から尊攘急進派の浪士・藩士が集まっていました。彼らは、中心人物である清河八郎、田中河内介、藤本鉄石と往来して挙兵の謀議を重ねていました。また、江戸藩邸からも一部の薩摩藩士(柴山・橋口壮助ら)が大坂に入り、魚屋太平の家に泊まって、田中・清河と決起をしようとしていました(「魚屋太組」といいます)。3月12日、江戸から上洛した薩摩藩士堀次郎はこの様子をみて、久光入京前に暴発が起こるのではないかと心配し、幕吏からの保護を口実にして、清河・田中・藤本・伊牟田尚平・古河(松?)簡ニ・海賀宮門ら数十名を大坂の薩摩藩邸に抑留していました。

このような状況下、大坂に到着した久光は薩摩藩士の激発を防ぐ為、上のような諭告をしたのでした。(久光は、6日には、浪士とともに行動していた西郷隆盛を処分していました こちら

関連:■テーマ別文久2「久光上京と寺田屋事件」■「開国開城」「文2:薩摩の国政進出-島津久光の率兵上洛と寺田屋事件

参考:『維新史』三・『徳川慶喜公伝』2・『西郷隆盛』(岩波新書、吉川弘文館)・『大久保利通』(中公新書)・『島津久光の明治維新』
(2003.5.6)
*この時期の薩摩藩関連の「今日」は力不足のため、一般書を主に参考にしており、史料の検証まで手が及んでいません。「今日」が一回りしたら、『鹿児島県史料』等を参考に追加修正する予定ですm(..)m

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