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文久2年5月20日(1862.6.17)
【京】勅使大原重徳に対し、一橋慶喜・松平春嶽登用要求の
沙汰書が授けられる

■勅使東下
【京】文久2年5月20日、勅使大原重徳【おおはら・しげとみ】に慶喜・春嶽登用の沙汰書が授けられました。

11日に議論された三事策(こちら)のうち、第一条(将軍上洛)、第二条(五大老)は削られ、第三条の一橋慶喜・松平春嶽の登用を主張するようにというものでした。島津久光(薩摩藩)の入説の結果だそうです。

国事関係書類(『徳川慶喜公伝』引用部分)の沙汰書の口語訳(by管理人)は以下の通り

<三事はそのまま幕府に示し、初め叡慮はこのようだったが、第一条・第二条は幕府にとってかえって難問となるとの意見があるので、第三条である一橋慶喜・松平春嶽の登用を主張せよ>

この他、薩長ニ藩の確執を避けさせること、老中久世広周の東上と出会った際には穏便を旨とすることなども指示されたそうです。

関連:■「開国開城」>「文2:勅使&島津久光東下との幕政改革」 ■テーマ別文久2年:「一橋慶喜・松平春嶽の登用問題と勅使大原重徳東下」■「薩摩藩日誌文久2年
参考:『徳川慶喜公伝』2・『維新史』三(2002.6.17)

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