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文久2年5月11日(1862年6月8日)
【京】朝廷、勅諭案(三事)を決定
【江】幕府、水戸脱藩関鉄之介(大老井伊襲撃首謀者)を斬首

■勅使東下-慶喜・春嶽の登用
【京】文久2年5月11日、朝廷は幕府に下す勅諭案を議論しました。その結果、(1)将軍上洛による国是の議論、(2)五大老の創設、(3)慶喜の後見職・春嶽の大老就任、の三案(三事策)のうち一案を選んで行うように・・・ということに決まりました。

【三事策】
第一案 将軍が上洛して国是を話し合う
*人心を収めるには将軍が上洛し、諸藩とともに朝廷に参内して、天皇の意を奉じて国是を定めるべきだという長州藩の主張(こちら)に沿ったもの
桂小五郎が岩倉具視・大原重徳に入説
第二案 沿海五カ国(薩摩・長州・土佐・仙台・佐賀)の藩主を五大老として幕政に参与させる 岩倉の説
第三案 一橋慶喜を将軍後見職とし、松平春嶽を大老とする
*孝明天皇は慶喜・春嶽を直接知らないが、衆望が高いので指名したという(こちら
島津久光の説

<ヒロ>
これら三案は、「朝廷主体・幕府随従の公武合体論の具体化」であり、従来の譜代大名・幕臣中心の幕政を「親藩と外様の雄藩連合政権に移行」(『人物叢書 松平春嶽』)しようとするものでした。

なお、5月20日に下された勅使への沙汰書は、久光の入説により、第三案を専ら主張せよというものになっています(こちら)

関連:■「開国開城」「文2:勅使&島津久光東下との幕政改革」■テーマ別文久2年:「将軍上洛問題」「一橋慶喜・松平春嶽の登用問題と勅使大原重徳東下」 ■薩摩藩日誌文久2長州藩日誌文久2
参考:『徳川慶喜公伝2』(2002.6.5)

■安政の大獄
文久2年5月11日、大老井伊直弼襲撃の首謀者の一人、水戸脱藩関鉄之介が斬首されました。

関連:■「開国開城」「安政5〜6(1858〜59):戊午の密勅と安政の大獄」「安政6〜万延1(1859〜60):勅書返納問題と桜田門外の変」■「志士詩歌:桜田門外の変」

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