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文久3年5月8日(1863年6月23日)
老中格小笠原長行、独断で償金支払いを命ず

■生麦償金問題
【横浜】文久3年5月8日老中格小笠原長行は海路、横浜に赴き、独断で生麦事件の償金交付を命じました

実はこの日、(表向きは)破約攘夷と償金拒絶を指示しながら東下中の将軍後見職慶喜が横浜に入りました。慶喜は神奈川奉行所の説明をきいていましたが、にわかに「思うことがあり、今夜中に江戸に入るつもりである。馬はないか」と言い出し、近習4〜5名を従えただけで江戸に駈け去りました。小笠原の乗った汽船が横浜に入港したのは慶喜が出立してまもなくだったといいます。

このことから慶喜と小笠原の間には黙契があったのだとされています。

なお、実際に償金が交付されたのは翌9日となります。

関連:■開国開城:「生麦事件」幕府の生麦償金交付と老中格小笠原長行の率兵上京」■幕末日誌文久3 ■テーマ別文久3年:「生麦事件賠償問題と第1次将軍東帰問題」「第2次将軍東帰問題と小笠原長行の率兵上京
参考:『徳川慶喜公伝』2・『昔夢会筆記』(2001.6.23)

■真木和泉救解
文久3年5月8日、真木和泉救解のため、中山忠光が下関を出立しました。長州藩士瀧弥太郎・赤根武人らを連れていました。

参考:「白石正一郎日記」『史籍雑簒』、『修訂防長回天史』p416(2004.6.25)
関連:文久2年5月5日【京】久留米藩士小河佐吉ら脱藩・入京。長州藩士清水弥太郎・寺島忠三郎らに真木和泉釈放援助を請う。


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