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■春嶽の政事総裁職就任へ 【江】文久3年7月7日、一橋慶喜は親書を送って松平春嶽の政事総裁職就任を説きました。 春嶽は病と称して登城せず、総裁職就任の内命にも応じていなかったからです。また、勅使大原重徳も山科兵部(薩摩藩士吉井幸輔)に親書を持たせ、<就任固辞となれば勅使の任もまっとうできないので、病床に推参して討論したい>と伝えました。 この日の夕方、越前藩では、前日に江戸に到着した横井小楠(こちら)に家老らを加えて進退問題を評議しました。小楠の助言は<これほどまで切迫しているのであれば、かねての評議のとおり登城して、「幕府の私を捨てられ、是までの御非政を改められ候様、御十分に仰せ立てられ」、その結果をみて進退を決めてはどうか>というものでした。 これを容れて、越前藩では翌々日(9日)からの春嶽の登城を決めました。 <ヒロ> これより前、7月1日、将軍は、勅使大原重徳(五度目の登城)を白書院の上段に迎え、一橋慶喜を後見職に、松平春嶽を総裁職に任命し、政事向きのことを万端相談する旨、回答しました(おさらい:慶喜・春嶽登用の勅諚奉承問題)。前6日には、慶喜は、一橋家を再相続し、将軍より、後見職就任の直命を受けていました(こちら)。 関連■「開国開城」「勅使大原重徳東下と文久2年の幕政改革」■テーマ別「一橋慶喜・松平春嶽の登用問題と勅使大原重徳東下」「横井小楠」 参考>『再夢紀事・丁卯日記』(2002.9.20) ■幕政改革へ 【江】同日、島津久光は老中に幕政改革の建白書を提出しました。概容は以下の通り。
<参考>『再夢紀事・丁卯日記』、『徳川慶喜公伝』(2002.9.20) |
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