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文久2年7月1日(1862.7.27)
【江】勅使大原重徳、五度目の登城
将軍家茂、一橋慶喜&松平春嶽登用を奉答

■慶喜の後見職就任、春嶽の総裁職就任
【江】文久3年7月1日、勅使大原重徳は五度目の登城をしました。将軍家茂は大原を白書院の上段に迎え、一橋慶喜を後見職に、松平春嶽を総裁職に任命し、政事向きのことを万端相談する・・・と回答しました

ところが、実は、春嶽は、前夜下された内命をまだ承諾していませんでした。この日の早朝、老中脇坂安宅に対して、奉答文から春嶽奉職の件は除くよう申し入れていたのです。

夕刻、老中の使者、大目付大久保忠寛(のち一翁)と岡部長常が越前藩邸を訪問し、病床の春嶽に面会して、勅使への奉答が滞りなくすんだことを伝えました。また、春嶽の申し入れについては、脇坂は困惑した様子であり、この件は、春嶽が登城を再開した上で、是非お請けしていただこうということになったそうです。将軍ももちろんそのつもりで、病気が治り次第の登城を望むとのことでした。春嶽は、そのうち登城できるとの見込みを伝えました。

参考:『徳川慶喜公伝』2・『再夢紀事・丁卯日記』(2002.9.20, 2006.1.6)

○おさらい
この年の6月7日、薩摩藩の「国父」島津久光(藩主の父)が、勅使大原重徳を擁し、大兵を率いて江戸に入りました。軍事力と朝廷の威力を背景に幕政改革の断行を迫るためで、勅使大原は、6月10日、江戸城に登城して、一橋慶喜を将軍後見職に、松平春嶽を大老に登用せよとの沙汰を伝えました(こちら)。これより前、朝廷や外様の薩摩藩による幕政介入を忌避する幕府は、先手を打って、4月25日には安政の大獄で処分を受けていた一橋派の慶喜、春嶽、徳川慶勝、山内容堂の赦免を決定し、他人面会・文書往復を解禁しました。さらに、5月7日に春嶽に幕政参与を命じ(こちら)、同月9日に将軍後見職田安慶頼を免じました(こちら)

13日、勅使大原重徳は江戸城に再び登城して、幕政参与の松平容保(5月7日任命)・春嶽、老中らと会談し、勅諚への回答を迫りましたが、老中は、(1)慶喜については、将軍は成人して田安大納言の後見職を免じたばかりであり、事情が許さないとし、(2)春嶽についても、幕政参与として実質上大老と同じ任務に服していて大老就任には及ばないと主張して、勅諚を請けようとはしませんでした(こちら)

18日、三度登城した勅使大原は、容保・老中と会談しました。この日、老中は春嶽を大老相当の職につけることを承諾しましたが、慶喜の登用には難色を示し、応じませんでした。(こちら)。この日、春嶽は登城していませんでした。勅諚(特に慶喜の後見職登用)に対する幕閣の抵抗に不満を感じた春嶽は、14日以降、暑気あたりを理由に登城せず、家老らに進退を評議させました(こちら)。16日夕、老中の使者・大目付大久保一翁から登城を促され(こちら)、17日、登城して幕議に臨みましたが、勅諚を「薩の好次第」だとみる老中らは「一途に奉勅の体にも相運ばず」、慶喜の後見職登用についても「嫌疑説」がしきりに唱えられ、奉承決定にいたりませんでした(こちら)。これをみた春嶽は幕政参与辞任を決意し、翌18日から再び登城をとりやめていたのです。

登城を停止した春嶽に対し、容保らは登城を促しましたが(こちら)、春嶽は病を理由に応じず、23日には、幕政参与辞任の内願を老中脇坂安宅に提出しました。しかし、驚いた脇坂・一翁に翻意を促され、さらに薩摩藩士中山中左衛門に「強迫の正論」を説かれたため、このままでは天皇・将軍はもとより、有志に対して面目が立たないと、越前藩は登城再開の「条理」を探ることにしました(こちら)。翌24日、一翁が同僚の浅野と越前藩邸を訪れ、病床の春嶽に辞意撤回を求めました。その際、家老三名は一翁と密談し、辞任内願の起源は<幕府が私政を放やめないから(「幕府御私政放擲之無故」)>だと詳しく打ち明けました(こちら)、翌25日、越前藩士長谷部甚平・千本藤左衛門・大井弥十郎・村田氏寿(巳三郎)は一翁を訪ねると、「大議論」の末、「幕私を去るべき」論に同意をとりつけました。春嶽は、一翁を協力者とし、「幕私を去る」ため、登城再開することを決めました(こちら)

●慶喜登用
6月25日・26日、勅使大原重徳は、老中脇坂安宅・板倉勝静を伝奏屋敷に呼び出し、勅諚奉承(即ち懸案となっている一橋慶喜の登用)を強く迫りました。その結果、老中は奉承するよう努力すると回答し(こちら)、29日、ついに慶喜の後見職登用に同意しました(こちら)。7月1日、将軍家茂は勅使大原に対し、一橋慶喜を後見職に、松平春嶽を総裁職に任命し、政事向きのことを万端相談すると回答しました。

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