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元治1年8月2日(1864年9月2日)
【京】京都守護職・会津藩主松平容保、藩士野村左兵衛・広沢富次郎に老中阿部正外との東下・将軍上洛周旋を命じる
【江】将軍徳川家茂、長州征討へ自らの進発を表明

☆京都のお天気:霽陰(『嵯峨実愛日記』)

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■将軍進発問題
【京】元治1年8月2日、会津藩は、公用人野村左兵衛・公用方広沢富次郎(安任)に対し、老中阿部正外に同行して東下し、将軍上洛を周旋することを命じました

阿部は、京都不穏を理由とした天機奉伺の為、上京中で、前1日に参内、同じ日に東帰のための暇を与えられていました(こちら)。阿部は、一橋慶喜の入説により、将軍進発を促すために東帰しますが、会津藩にとっても将軍上洛は藩論なので(7/23)、阿部の東帰を知って、藩士を同行させることにしたと思われます。禁門の変を契機に、本当に一会の連携が進んでいますよね。なお、会津藩公用人野村左兵衛は「会津藩第一等の人物」と評される藩士で、会津藩の意気込みがうかがえます。

参考:『京都守護職始末』、『勝海舟全集1 幕末日記』p160(2018/4/22)

【江】元治1年8月2日、将軍徳川家茂は、在府の諸侯・布衣以上の有司を召見して、朝廷の長州藩追討令の写しを示し、長州藩追討のための将軍自らの進発を表明ました

参考:『維新史』四p125(2018/4/22)

■征長総督・副将問題
【越前】元治1年8月2日、前越前藩主松平春嶽は、書を容保に復して、上京の勧説を謝辞しました(『続再夢紀事』三p228-229)。(2018/4/22)

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その他の動き
【四国艦隊】英仏蘭米の艦隊17隻が豊後水道姫島に集結。(『維新史』四)

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