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文久2年8月11日(1862.9.4)
守護職就任:)未決の三条件(諸浪士、将軍上洛、所司代)。

■容保の守護職就任
【江】文久2年8月11日、京都町奉行永井尚志が会津藩重役と会津藩の出した条件について会談した結果、諸浪士、将軍上洛、所司代の三条件が未決事項として残りました。

この日登城した春嶽は、後見職一橋慶喜、老中、大小監察と参集し、「会藩申立之條々」を評議しましたが、その結果、町奉行に任命されたばかりの永井尚志(原文は永主水)が会津藩重役と示談することに決まりました。そこで、春嶽は永井と会津藩家老横山主税・留守居役堀七太夫に直書を出して屋敷に呼び出しました。帰邸した春嶽から一応の趣意を説明された後、永井・横山・堀の三名は海手御茶屋に向って会談をもちました。永井からの報告によれば、容保から提出された懸案事項は話し合いでだいたいが決定したが、三条が未決のまま残ったといいます。その三条とは(1)諸浪士、(2)将軍上洛、及び(3)所司代でした。

参考>『再夢紀事』(2003.4.21)
関連:■開国開城「勅使大原重徳東下と文久2年の幕政改革」■「京都守護職事件簿」:「文久の幕政改革と京都守護職拝命」■テーマ別文久2年:「守護職就任」「所司代人事」「将軍上洛問題

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