1月の「今日の幕末」 幕末日誌文久3 開国開城 HP内検索 HPトップ
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■中川宮の浮説 【京】文久3年12月2日、孝明天皇は、中川宮に浮説の真偽を質しました 禁門の政変で排除された尊攘激派は、政変は天皇の意向を無視した中川宮・会津・薩摩の陰謀であるとしていました。10月には、天皇が密かに三条実美に大政を委任したいという密旨を下したとの流言が行われ、天皇がこれを否定するということがありました(こちら)。 前後して、孝明天皇と中川宮を離反させることを目的としてか、中川宮に関する浮説が起こりました。皇位簒奪の意志があるとか、幕府が2000石の家領を増やしたので心を惑わせて幕府に加担し、呪詛・毒殺を企んでいるというものです。これらの浮説が張り紙に書き付けられて北野のあたりに張られたそうで、12月2日に、近衛忠熙前関白が張り紙を孝明天皇に見せたところ、天皇は非常に心を悩ませ、この日、中川宮らを召しだして張り紙に書かれている内容を直接質したそうです。中川宮は、自分は無実だが、このような浮説が起こったことは恐れ入ると述べたそうです。これに対し、天皇も、もとより疑ってはいなかったようで、ますます忠勤あるようにと諭したそうです。 関連:■テーマ別文久3「中川宮に関する浮説」 参考:『続再夢紀事』二p270(2005.1.27) ■長州家老井原主計の入京・嘆願(16) 【京】文久3年12月3日(1864年1日11日)、朝廷は、伏見に執奏家雑掌を送り、長州藩家老井原主計の嘆願の趣を聴取させる旨を達しました。 この達しは、12月1日の将軍後見職一橋慶喜・前越前藩主松平春嶽・前宇和島藩主伊達宗城・薩摩藩国父島津久光の話し合いの結果(こちら)を受けたものになります。 ■テーマ別文久3年「長州進発&家老の上京・嘆願」 ■長州藩日誌文久3 |