1月の「今日」 幕末日誌文久3 テーマ別文久3 事件:開国-開城 HP内検索 HPトップ
◆11/29へ ◆12/2へ
■長州家老井原主計の入京・嘆願(15) 【京】文久3年12月1日、井原の趣意を聴取するため、朝廷執次と所司代役人を伏見に派遣することが決まりました。 この日、一橋慶喜(将軍後見職)の宿舎に、松平春嶽(前政事総裁職・前越前藩主)、伊達宗城(前宇和島藩主)、黒田慶賛(筑前藩世子)、島津久光(薩摩藩国父)が集まり、伏見の井原主計の願意を聴取するために派遣する者について評議しました。席には、会津藩公用方秋月悌次郎が呼ばれていました。 前々日(11月28日)の会合では、秋月の強硬な主張により、井原の入京不可が決まりましたが、秋月は伏見に伝奏を派遣するという代替案にも反対していました(こちら)。それでは会津藩が応接してはとの春嶽の提案には、会津藩と長州藩は互いを仇敵視しており、穏やかな応接は無理であるとを断り、政変に関与しておらず、かつ上京途中に長州で嘆願を受け付けた筑前藩世子黒田慶賛に依頼してはどうかとの私見を述べていました。(黒田がこの日の会合に参加しているのは秋月の言によると想像されますこちら) 席上、秋月は意見をきかれると次のように申し立てたそうです。
秋月退出後、春嶽が、朝廷執次に所司代の家臣を添えて伏見に派遣してはどうかと提案したところ、一同に異論がなかったので、この案で決まりました。なお、昨日、中川宮が、久光に対し、この一件の結論がでれば予め知りたいと言っていたため、明日、久光が参殿・言上することも決まりました。 関連:■「開国開城」「大和行幸計画と「会薩−中川宮連合」による禁門(8.18)の政変」■テーマ別文久3「大和行幸と禁門の政変」「長州処分」「長州進発&家老の上京・嘆願」■長州藩日誌文久3■守護職日誌文久3 ■越前藩日誌文久3 参考:『続再夢紀事』ニp264-265。(意訳は管理人。素人なので、著作物作成の場合は必ず原典にあたってね)(2005.1.9) |