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文久2年9月22日(1862.11.13)
【京】久坂玄瑞・武市半平太、慶喜の上京延期を密議

■慶喜の上京延期
【京】文久2年9月22日、在京尊攘急進派の久坂玄瑞(長州藩)・武市半平太(土佐藩)は、後見職一橋慶喜の上京延期策を密議しました。

この日、久坂は突然、武市を訪問し、将軍後見職の一橋慶喜が(破約攘夷の朝議を諫争するために)近々上京する旨、武家伝奏に連絡があったことを知らせました。武市は、慶喜の機先を制するために、慶喜の上京差し止めの勅命を出させようと話し、薩摩藩村山斎助・公卿三条実美らにこの策を告げました。夜、久坂・村山と会談した後、公卿姉小路公知に招かれて姉小路邸を訪問しました。

<ヒロ>
幕府は、9月16日、一橋慶喜の上洛&開国上奏を決めました(こちら)。まさか、幕府が朝廷に開国上奏の予定を通達するとも思えないので、補足情報が長州江戸藩邸から京都藩邸に届いたのではないかと思います。久坂が、幕府の伝奏への連絡と同時くらいに、慶喜の開国上奏に関する情報を得たところを見ると、江戸藩邸は情報を得るとすぐに書簡を送り、久坂も江戸便を受け取るとすぐに行動したようです。

ところで、長州藩は幕議には参加していませんが、いつ誰からこの情報は得たのでしょうか?藩士がしばしば訪れている越前藩経由でしょうか・・・?もしそうだとすると、越前藩ではその情報が在京の激派にも伝達されうること、その影響に気づいていたのでしょうか・・・。(16・17日頃に長州藩士が越前藩邸を訪問した記録は続再夢紀事には見当たりませんが、長州藩の記録を探せば、情報源がわかるかも?興味はつきません。またまた探究ネタ。たまるばかりです^^;)。

なお、江戸では、慶喜の上京による開国上奏が内定した3日後の、9月19日に政事総裁職・松平春嶽が幕閣に破約攘夷を提議し(こちら)、それに反対する老中・有司らと議論が続いていました(こちら)

参考:『維新土佐勤王史』(2003.11.13)
関連■テーマ別文久2「国是決定破約攘夷奉勅VS開国上奏「第2の勅使(攘夷督促&親兵設置)東下「慶喜の上京延期問題

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