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文久3年10月29日(1863年12月9日)
【京】近衛忠煕前関白父子、島津久光に宸翰の写しを送る
【京】朝廷、将軍上洛を再度命令

■「妄説」否定の宸翰
【京】文久3年10月29日、近衛忠煕(前関白)・忠房父子は、薩摩藩国父島津久光に、孝明天皇が<8・18政変以来、意のままにならないので三条実美に伝えよ><天下のことを三条実美に委任したい>と言ったという風説を否定する宸翰の写しを送りました

・宸翰はこちら
・その際の書状の内容は以下の通り。
(前略)右仔細は三田尻辺(=七卿滞在地)にて粉ゝ相唱え、(天皇が)元三條中納言(=三条実美)へ天下の事御委任遊ばさるべしとか申す辺の事に付、極内々尹宮(=中川宮)と申し合わせ、主上へ申し上げ候處、(天皇は)甚だ殊の外殊の外の御逆鱗にて在らせられ、実にかかる重大の御政務の折柄、脱走輩(=七卿)の為に衆人主上を御疑い申し上げられ候ては、甚だ容易ならざる事柄故、叡慮の御趣意染らるる宸翰昨日各(おのおの)拝見仕り候事にて、誠に何共恐れ入り候事に候。其許(そこもと=久光)へは極内々、当方(=近衛家)より拝写候て見させ置き候様御沙汰に付、右宸翰拝写仕り、極内々其許へ入覧候。扨(さて)又伝奏衆より何(いず)れ叡慮を伺い取らるる御書付にて諸藩へ仰せ渡され候事と存じ候。誠に此の末(七卿らが)如何の事申し唱え候も計り難く、(天皇は)深く御懸念の御事に在らせられ候。(天皇は)実に脱走の輩は深く御忌禁遊ばされ候御事故、其の辺一統篤と会得之在り候様遊ばれたき思し召しに伺い候て、扨々恐れ入り候次第に候。

扨(さて)昨鳥佐太郎持参候書付の義、委細に承り、何も甚だ繁雑繁雑大乱書、例ながら御推覧給り候也。

 十月廿九日  内密乱書御推覧
                           忠煕
                           忠房
  島津三郎殿

参考:『続再夢紀事』ニP209-212(書き下しby管理人。句読点は任意。管理人は素人なので、著作物作成の際は必ず原典にあたってください。なお『玉里島津家史料』『忠義公史料』には上掲書簡は収録されていません)

■将軍再上洛
【京】文久3年10月29日、朝廷は将軍上洛を再度命じました

この日、武家伝奏は将軍家茂への勅書を守護職松平容保に付与しました。

天皇は、横浜鎖港交渉中で上京が困難なのは最もだと思われているが、公武一和、天下の大策をたたせたいという厚い叡慮もあり、強いて早々に上洛するようにとさらに仰せ出された。

(出所:『七年史』ニ。口語訳by管理人)

関連:■開国開城「政変後の京都−参与会議の誕生と公武合体体制の成立」 ■テーマ別文久3年:「横浜鎖港交渉「将軍・後見職の再上洛」守護職日誌文久3

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