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京都守護職会津藩の年表(3)


文久3(1863)年 <容保29歳>  

(京都守護職拝命:文久2年)戻る (京都守護職時代:元治元年)

1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月


守護職關係の主なできごと (事件簿文久3) その他の主なできごと

1

◆1/2(2.19)【京】守護職松平容保、初参内。御衣を与えられる
◆1/4【江】容保新年を賀して鮮魚を御所に献上(七)。
◆1/5【京】将軍後見職一橋慶喜入京
◆1/9【京】容保、三条実美を訪問(鞅)
◆1/13【京】容保、正親町三条実愛を介して青蓮院宮に閲す(鞅、七)
◆1/15【京】容保参内し、天皇に短刀一口、金百両を献上(七)。
◆1/21【京】浪士対策:容保、慶喜に言路洞開を説くが容れられず。/天皇・皇親王らより年礼の使いが黒谷に。









◆1/28【京】容保、将軍上洛を促す使者外島機兵衛らをを江戸に送り、慶喜にも適切な処置を請う。/容保、風邪のため病床に。
◆1/29【京】浪士対策:国事御用掛、諸藩に浪士の攘夷先鋒を諮問
◆1/3【京】長州藩世子毛利定広参内。攘夷周旋の功で御衣を与えられる。
◆1/11【京】長州藩久坂玄瑞ら攘夷期限決定のため慶喜に面会を求める。
◆1/13(.3.2)【京】慶喜、学習院で急進派公卿と対峙
◆1/16【京】上鷹司輔熙に関白宣下の内意/【
◆1/17【京】朝廷、長州藩主毛利敬親を参議に任命
◆1/20【京】近衛忠煕・鷹司輔熙、将軍上洛延期発令の見合わせを決定。近衛、島津久光に再度上京を求める。
◆1/23【京】公武合体派近衛忠煕、関白辞任(内覧は継続)。鷹司輔熙新関白に
◆1/24【京】池内「天誅」事件(2)。鷹司関白・近衛前関白・中川宮(青蓮院宮)・中山・正親町三条大納言に脅迫状。
◆1/25【京】前土佐藩主山内容堂、入京
◆1/27【京】朝廷、公武合体派議奏中山忠能・正親町三条実愛の辞職を許可する。翠紅館の尊攘派会合
◆1/28【京】千種有文の家臣賀川肇「天誅」事件(
◆1/29【京】朝廷、中川宮(当時青蓮院宮)に還俗の内旨/春嶽着坂。
◆2/1【京】容保、病床。慶喜に言路洞開を促す書簡を出す(七)朝廷、諸藩に浪士取締の沙汰。
◆2/3【京】容保、慶喜から言路洞開の承諾を得る/
◆2/4【京】容保、前関白近衛に言路洞開を建白
◆2/4【京】容保、春嶽に浪士を武田耕雲際に附属させ、自分が指揮して攘夷先鋒にと提案/
◆2/6【京】春嶽、容保に異見があると伝える
◆2/7【京】この頃、平井収二郎、会津藩訪問/容保、関白鷹司邸に参内。浪士取締りの決意を述べる。
◆2/9【京】j慶喜・容堂・容保・岡部長常・杉浦正一郎・沢勘七郎ら、浪士対策を協議 この頃?-肥後藩の轟武兵衛・中島永吉、会津藩士野村左兵衛・小室金吾・伊東図書・田淵房之進・荒井良助・大野英馬・柴太一郎・広沢安任(広沢富次郎)らを訪ね、容保が慶喜の攘夷実行の意思を確認するよう迫る。(七)
◆2/10【京】春嶽、鷹司関白に浪士対策を確定するようにとの建白書を提出
◆2/11【京】攘夷期限設定の勅使慶喜本陣へ。容保・春嶽・容堂、慶喜の本陣に招かれ、勅使と議論。慶喜、攘夷期限(将軍退京10日、帰府後20日以内)約束。/浪士対策:容保、藩士に夜間巡邏を開始させ、法を犯すものは捕縛、抵抗する者は斬殺も可と命令
◆2/13【京】肥後藩士森井惣四郎、会津藩公用人に警告
◆2/14 (4.1)【京】慶喜・春嶽・容堂・容保、攘夷期限を4月中旬とする上書を提出/浪士対策:慶喜・春嶽・容保・容堂・宗城、浪士のうち主のある者は帰藩・主のない者は幕府が扶助、勅諚による施行・違反者の厳罰を決める(&浪士捕縛をめぐる春嶽と容保の対立)
◆2/15【京】中川宮、慶喜・春嶽・容保・宗城に対し、浪士の意見を採用する三条実美の影響により、朝廷の幕府に対する嫌疑が強いことを伝える
◆2/16 【京】浪士対策:鷹司関白、浪士処遇の勅諚は困難で、慶喜に任せたい、それでよければ伝奏から通達、と春嶽に書簡/容保に不逞浪士取締・取締分担藩の推挙の朝命・関白邸に赴き浪士処置委任を請う(藩、七)
◆2/17【京】浪士対策:鷹司関白、容保に対し、十分配慮しての取締りを求める密書/容保関白邸に赴き謝す(藩、七)。慶喜邸で浪士処分に関する春嶽への関白書簡の返書について議論(続)。容保、慶喜・春嶽・容堂と将軍の官位降等問題を論議(七)
◆2/19【京】春嶽、所司代邸で政令帰一(大政委任か政権返上の二者択一)を論じ、一同賛同/朝廷、会津藩に学習院警戒に当らせる。
◆2/20【京】慶喜・春嶽・容保・容堂、政令帰一を論じに鷹司関白邸訪問/朝廷、学習院における草莽の建言を許す
◆2/21【京】慶喜・春嶽・容保・容堂、鷹司関白に政令帰一を迫る。関白、決断できず、御前会議開催にも難色を示す。将軍上洛時には大政委任の沙汰が下るよう取り計らうと述べる
◆2/22【京】夜,足利将軍木像梟首事件(藩士大庭恭平も一味))/容保、春嶽・宗城と慶喜本陣に(続)
◆2/25【京】木像梟首事件:会津藩士大庭恭平、容保に密告。容保、犯人捕縛を決意/ 
◆2/26【京】生麦賠償:慶喜・慶勝・春嶽・容保・宗城、開戦の覚悟を定めること、江戸守衛のため水戸藩主慶篤に帰府を命じること、諸侯帰国の暇を出すことを鷹司関白に請う/木像梟首事件:容保、慶喜・春嶽の同意を得て犯人捕縛(守護職の浪士対策、強硬策に転換)/
◆2/27【京】/浪士対策:容保、浪士に心得違いせぬよう触書/浪士を攘夷先鋒として指揮下にと朝廷に上書/容保、慶喜・春嶽・容堂らとともに登城(続)
◆2/1【京】賀川「天誅」事件(2)千種・岩倉に賀川の手と脅迫状、慶喜の宿舎に賀川の首と攘夷期限決定を迫る封書
◆2/3【【江】生麦事件償金:英国艦隊、横浜に入港
◆2/4【京】春嶽入京
◆2/5【京】慶喜、将軍上洛の上の攘夷期限決定を鷹司関白約束
◆2/6【京】容堂の宿舎に唐橋村惣助の首と攘夷を促す書/長】長州藩士長井雅楽切腹
◆2/9【京】急進派公卿12名の関白鷹司邸列参/慶喜、将軍帰府後の攘夷を約束/
◆2/11【京】久坂玄瑞・寺島忠三郎・轟武兵衛、鷹司関白に1)言路洞開、2)人材登用、3)攘夷期限決定の三策を迫る・公卿の関白列参/天皇、請願を勅許/後見職慶喜、勅使に将軍滞京10日、帰府後20日の攘夷期限を上答
◆2/12【京】朝廷、将軍滞京を10日とする沙汰
◆2/13【京】国事参政・国事寄人設置/九条尚忠・久我建通・岩倉具視・千種有文・富小路敬直、重慎に【江】将軍、東海道により上洛の途へ

◆2/18【京】在京諸大名21名に攘夷の勅諚が示される
◆2/19生麦賠償:)英国代理公使ニール、謝罪と償金の返答を要求。返答期限は3/8

◆2/23 【京】生麦賠償:上京途上の老中、返答期限延期交渉を指示/親兵設置:朝廷、親兵設置を議論/浪士組上京
◆2/24【京】生麦賠償:慶喜・春嶽ら、将軍帰府の上での返答&英国への期限延期申入れを議定
◆2/27【京】生麦賠償:朝廷、和宮守護のための水戸藩主東帰を命じる。諸侯帰国暇の朝命と天皇への直接奏上は叶わず勅諚改竄:大原重徳、(薩長融和のための)勅書改竄の罪で辞官・落飾・蟄居に
◆2/28【京】長州藩、石清水行幸(親征)及び親兵貢献を建議/生麦賠償:幕府、在京諸侯に対し、英国と戦争になる可能性があるので、藩地をしっかりおさめるよう、帰国の暇を達する

3

◆3/1 (4.18)【京】木像梟首事件:長州藩世子、犯人の赦免を願出る。中川宮、容保を批判
◆3/4【京】将軍徳川家茂入京/二条城会議。慶喜主張の政令帰一の緊急性に一同賛同/木像梟首事件(5)朝廷、犯人の赦免を命じる ・容保、二条城に将軍を出迎える。将軍、容保に時服を下賜
◆3/5 【京】後見職一橋慶喜、将軍名代として、攘夷実行と引き換えの大政委任の勅語獲得。鷹司関白による勅語書取りは「征夷将軍の儀」の委任と攘夷尽力/木像梟首事件:慶喜、犯人処分委任を請う
◆3/6【京】木像梟首事件:会津藩士、犯人赦免に猛抗議
◆3/7【京】将軍家茂、参内。5日の書取りと異なる勅書が下賜される(+ことがらによっては諸藩へ直接沙汰あり)容保、先に御所に入って将軍を迎える(七)。
◆3/10【京】浪士対策容保、浪士差配を命ぜられる/壬生浪士(1)芹沢鴨・近藤勇ら残留希望浪士17名、会津藩に嘆願書提出
◆3/11【京】賀茂行幸(容保喪中にて随行せず)
◆3/13【京】東帰浪士、江戸に向けて出立、浪士藤本鉄石ら、容保と面談。
◆3/15【京】浪士対策&壬生浪士:残留浪士、正式に会津藩預に・(会津藩家老の書簡)
◆3/16【京】幕府、将軍東帰内定(容保は反対)/容保、近藤らを謁見。「奸物誅戮」の内意
◆3/17【京】幕府の将軍東帰奏請。朝廷、滞京・摂海攘夷を求める/容保、将軍滞京の意見書を大目付岡部長常に
◆3/18【京】朝廷、将軍滞京1度目の勅(1)将軍滞京による京都・近海守衛、(2)大坂における生麦事件償金拒絶交渉実施、(3)将軍による摂海攘夷戦争の指揮、の沙汰/親兵設置の幕命会津藩は一藩をもって親兵につき藩兵さしだし免除)。
◆3/19【京】将軍滞京2度目の勅。孝明天皇の親勅により、東帰中止。戦争は好まずとの直喩。また、摂海攘夷指揮の勅は偽勅と判明」/容保、東帰再奏請に参内する将軍に慶喜らとともに供奉。家老横山を老中格小笠原の下に遣わし、将軍東帰反対の上書を渡す(七)。
◆3/21【京】慶喜&老中、将軍東帰の再願
◆3/22【京】将軍東帰:将軍滞京の三度目の勅&将軍東帰を中止/会津藩・水戸藩・尾張藩、将軍東帰を極諌/(&諸藩の東帰・償金支払のスタンスの表、おさらい:第一次将軍東帰運動
◆3/23【京】生麦賠償:容保、老中に、水戸藩に全権委任するようにとの意見書を提出
◆3/25【京】会津藩士、壬生の残留浪士と壬生狂言見物
◆3/28【京】所司代、容保に石清水行幸決定を報せる(七)
◆3/29【京】容保、八幡・山崎に関門修築の意見書を提出/幕府、清水家附420名を守護職配下に。
◆3/1【京】幕府、浪士組東帰を決定
◆3/2【京】賀茂行幸に将軍随従の達し
◆3/5 【京】春嶽、将軍に謁し、辞意を伝え、将軍辞職の意見書提出/水戸藩主徳川慶篤入京/【江】生麦賠償:幕府、在府大名に開戦覚悟を達する
◆3/8【京】慶喜、将軍滞京と水戸藩主東帰請/
◆3/9【京】春嶽、総裁職辞表(内願書)提出。登城とりやめ
◆3/11【京】朝廷、将軍の滞京延期&後見職か総裁職に帰府・攘夷戦争に備える防御指揮の沙汰
◆3/12【京】朝廷、後見職・総裁職一方の両日中(将軍着京10日以内)の退京・帰府を催促
◆3/14(5.1)【京】島津久光入京、14か条の建議久光2度目の上京をめぐる動き)/鎖港交渉のための春嶽帰府&慶篤滞京の朝命(親兵設置をめぐる動き
◆3/15【京】春嶽、板倉老中を呼び出し、将軍辞職・政権返上覚悟で難局にあたれと説く。板倉、同意し、慶喜と検討と回答/長州藩世子毛利定広、高杉晋作に10年の暇を言い渡す
◆3/18【京】久光退京/石清水行幸の沙汰/
◆3/20【京】生麦賠償:慶喜、償金支払の沙汰書を求める/急進派公卿中山忠光、京都を出奔
◆3/21【京】春嶽、総裁職辞任届け捨てのまま離京
◆3/24【京】老中格小笠原長行、東帰のため退京。/朝廷、長州藩世子定広に帰国を許可
◆3/25【京】生麦賠償:徳川慶篤、退京
◆3/26【京】山内容堂、退京
◆3/27【京】石清水行幸:将軍に供奉の沙汰/宗城、退京
◆3/28【京】近衛前関白父子、久光に再上京を促す
◆3/30【京】幕府、長州藩の兵庫守衛を免除&諸藩の京都警衛場所を定める
4
◆4/1【京】会津藩公用方大野英馬、高松保実に朝廷内情の報知を依頼
◆4/2【京】将軍参内。中川宮、容保に将軍警護の必要を告げる/
◆4/3【京】親兵設置:三条実美、京都御守衛御用掛就任/幕府、同年の京都守衛諸侯及び警衛担当時期を通達/諸大名の参勤は京都・江戸折半にするようにとの朝旨
◆4/9【京】二条城に石清水行幸に変事を示唆する張り紙/容保、将軍供奉とりやめを諌止また、野村左兵衛を慶勝に遣わし、相談する(七)。
◆4/11【京】石清水行幸

◆4/16【京】容保の壬生浪士上覧試合
◆4/17【京】壬生浪士近藤勇、「天狗」となり「水利一存んの意図に相成兼候」/容保、藩士の発見した将軍誹謗の落書を二条城の老中に提出(七)。
◆4/18【京】幕府、摂海巡視の将軍退京&攘夷のための後見職慶喜東帰を奏請(背景)。朝廷、慶喜東下による攘夷期日を将軍直筆で明確にすること、将軍摂海巡視の後は必ず帰京すること等を求める (容保、東帰に反対する(七))
◆4/21【京】将軍家茂、大坂湾巡視のため退京/公用局・広沢、壬生浪士を引率して将軍警衛/朝廷、前尾張藩主徳川慶勝を、将軍輔翼に任命
◆4/22【京】慶喜、破約攘夷実行のため江戸へむけて出立(会津藩の反対聞き入れられず)
◆4/23【坂】容保、登城の帰途、二条右大臣別邸で遊興/
◆4/25【京会津藩秋月悌次郎、幕府側用取次村松出羽守に将軍滞京を主張。
◆4/26【京】容保の説得で徳川慶勝(容保兄)将軍輔翼就任/

◆4/28【京】会津藩、近衛前関白の依頼により、朝倉幸之助捕縛に加勢。孝明天皇、激怒し、関白・議奏伝奏の参内を停止。
◆4/2【京】慶喜、中川宮に石清水行幸を諌止/
◆4/5【京】慶喜、鷹司関白に石清水行幸を諌止
◆4/6【京】長州藩、石清水行幸中止に反対/石清水行幸時の心得が発表される/
◆4/7【京】長州藩世子定広、参内。帰国の勅
◆4/10【京】孝明天皇、行幸延期を希望するが容れられず/将軍家茂、発熱を理由に供奉辞退
◆4/11【京】石清水行幸/生麦賠償徳川慶篤、江戸到着
◆4/13【江】清河八郎暗殺 
◆4/16【京】長州藩、時務策を朝廷に建言/【長】藩主敬親、山口に移る/【薩】久光、近衛前関白書簡(3/28)に返答。上京猶予を願う
◆4/17【京】三条橋に将軍天誅の張り紙
◆4/19【京】慶喜、攘夷期日を5月10日と内定
◆4/20【京】幕府、朝廷に攘夷(拒絶)期日は5月10日と返答おさらい
◆4/21【京】家茂、大坂湾巡視のため退京/朝廷、前尾張藩主徳川慶勝を、将軍輔翼に任命/長州藩世子定広帰国の途へ/【江】生麦賠償:幕府、償金支払決定
◆4/22【京】孝明天皇、中川宮に久光上京の密勅。中川宮、時機をみるべきと奉答(23日?)/
◆◇4/24【京】神戸海軍操練所・造船所建設の幕命
◆4/25【京】姉小路公知、大坂湾巡視。開国説へ
5
5.1−容保、馬上にて八幡山崎砲台修築現場を視察(七)
5.7−幕府、守護職の役料として年二万俵を渡すことを決定(七)。
◆5/11【京】将軍、摂海巡視から京都に戻る
◆5/14【京】御所近隣出火。容保、自ら兵を率いて御所警備にあたる(七)。
◆5/15【京】勝、容保に謁し、八幡・山崎関門修築を協議/
◆5/16(7.1)【京】将軍補翼徳川慶勝に償金拒絶交渉経緯報告の沙汰/
◆5/18【京】将軍家茂、参内して摂海巡視の結果を報告/慶勝、償金拒絶交渉のための将軍東帰の沙汰を求める
◆5/20【京】容保・老中ら、攘夷のための将軍東帰を奏請/朔平門外の変(1)国事参政姉小路公知暗殺)/会津藩御所九門全門警備担当を申し出
◆5/21【京】朝廷、将軍東帰を議論。会津東帰論もでる/朔平門外の変:三条実美への脅迫状/朝廷、諸藩に御所外講九門警備を命令(長州藩に堺町門守衛・会津藩は含まれず)
◆5/22【京】朔平門外の変:土佐脱藩那須信吾、姉小路公知暗殺者の刀を薩摩藩田中新兵衛の差料だと証言/容保、再び御所警備担当を朝廷に嘆願。水戸藩にかわり蛤門警備を命ぜられる(守)。*「松」によれば、21日に蛤門・唐門警備を命ぜられる。
◆5/24【京】朝議で将軍東帰内定。
◆5/25【京】朔平門外の変:会津藩、朝命により、姉小路暗殺犯として薩藩田中新兵衛逮捕.。田中預かりは辞す/壬生浪士35名連名の将軍東帰反対の上書を守護職松平容保と老中板倉勝静に提出。/
◆5/26【京】朔平門外の変:薩摩藩田中新兵衛自刃。
◆5/27【京】朝廷、五藩に内構六門警備を命令(守護職・所司代は唐門・清所門・准后門)/朔平門外の変:会津藩、姉小路公知暗殺犯尋問を町奉行の任務として拒否容保、微熱
◆5/29【京】朝議、攘夷決行のための将軍東帰を内定/孝明天皇、近衛前関白に中川宮と連携した将軍滞京周旋の内旨(この上は久光上京「奮発」に期待)/【江】幕府、会津藩に二万両貸付決定。【京】容保、病床。孝明天皇が前関白に与えた内書を慶勝から示され、容保感泣(七)。
◆5/30【京】朝廷、老中に将軍東帰の暇内定を伝達/将軍、容保に滞京・京都守護を内命。会津家老横山主税ら連署して、老中にその不可を陳述。、将軍東帰に反対。
◆5/3【江】尾張藩主徳川茂徳、償金支払上奏に江戸出立
◆5/8【江】生麦償金:老中格小笠原、独断で償金支払い命令/慶喜、江戸に到着
◆5/9【京】朝廷、海防に関する朝旨三か条を幕府に伝える/(勝、姉小路の奏聞の結果だと感激
◆5/10(6.25)攘夷期限。【長】攘夷戦争:長州藩(光明寺党)、下関で米国船ペンブローグ号砲撃(実際は11日未明)p443/【京】攘夷の勅諚(玉二p257)
◆5/12【京】生麦償金:紀州藩士伊達五郎、生麦事件償金支払に係る朝廷・幕府の難しい状況を中根に語る【横】ロンドン密航の井上馨(聞多)・伊藤博文(俊輔)・山尾庸三・井上勝・遠藤謹助(長州ファイブ)、横浜出港
◆5/14【江】慶喜、将軍後見職辞表を朝廷に提出
◆5/19【江】慶篤、将軍目代を辞任/老中格小笠原長行、率兵上京の途に
◆5/23【長】長州藩、仏軍艦キンシャン号砲撃
◆5/26【長州藩】オランダ船砲撃/【京】近衛前関白父子、久光に「暴烈之徒」の「増長」する切迫した情勢を報せ、上京を促す
◆5/27【京】近衛前関白父子、久光に京・朝廷への尽力による姉小路公知暗殺の「疑惑氷解」を促す
◆5/28【横】米軍艦ワイオミング号、長州に報復するため横浜出航/老中格小笠原、率兵し、英国艦にて海路大坂へ
◆5/29【京】薩摩の乾門(外)警備罷免(出雲松江藩に交替)。薩摩関係者の九門内往来禁止の通達/
◆5/30【京】孝明天皇、島津久光へ上京・「姦人掃除」せよとの密勅を下す【横】攘夷戦争:仏艦タンクレード号出航。
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◆6/1(7.16)【京】老中格小笠原率兵上陸/慶喜の使者・梅沢、関白に京都武力制圧のため小笠原率兵上京との流説を伝える
◆6/2【京】幕府、若年寄稲葉正巳に小笠原上京阻止を説得させる/朝廷、容保に小笠原上京阻止を命ず/朝廷、慶喜の後見職辞職を却下/
◆6/3【京】将軍東帰:将軍参内し、東帰・攘夷の勅を得る(容保東帰を止めるが容れられず。)/容保、使者を送って小笠原上京断念を説得させる
◆6/4【京】将軍直書をもって小笠原入京を阻止
◆6/6【京小笠原を一両日中に厳罰に処すべしとの沙汰&幕府、将軍の下坂を求める
◆6/7【京】朝廷、親兵隊長に小笠原上京に備えるよう命令
◆6/9【京】将軍家茂退京&下坂。将軍、容保に佩刀下賜。老中、容保に残事務を委任
◆6/10【京】小笠原の老中職罷免、大坂城代預りに
?−容保、小野・松坂を大坂に派遣し、東帰を諌止させる。
◆6/11【京】幕府、淀藩主稲葉正邦を京都所司代に任命。
◆6/13【京】将軍大坂城を出て海路江戸へ。会津藩士小野権之丞・松坂の諌止間に合わず。船上の老中、東帰反対の小野らに書を与える。 容保、小笠原率兵上洛調書を鷹司関白に報告

◆6/17【京】容保・徳川慶勝、相談し攘夷布告を促す建議




◆6/21【京】徳川慶勝帰国。京都における守護職の孤立
◆6/22【京】会津藩、幕府に非常時の全権等を要請/中川宮家臣捕縛の朝廷内命を拒絶。
◆6/23)【京】木像梟首犯の罪科が定まる/
◆6/25【京】容保に「東下&攘夷の叡慮伝達」の勅命(偽勅)
◆6/26【京】孝明天皇、)容保、家臣を公卿に遣わし、自身の東下不可を説かせる(野村左兵衛は三条実美へ、小野権之丞・小室金吾は鷹司輔熙(関白)・近衛忠煕(前関白)へ、大野英馬は徳大事公純(内大臣)へ、広沢安任は豊岡大蔵卿に、秋月悌二郎は長谷三位)
◆6/27【京】容保に東下を望まないとの宸翰(密勅)前関白近衛、公用人大野を召して守護職容保に東下を望まない密勅を伝達。容保東下の「勅命」を辞する
◆6/28【京】)禁裏附武士小野政寧、勅諚を携えて出京。小栗、長州に会津を除く計画があるので注意するよう助言(七)
◆6/1【京】朝廷、長州の攘夷戦争を称揚する沙汰/【長】米軍艦ワイオミング号、長州に報復/【越】挙藩上京計画:越前藩、挙藩上京・を藩論として決定/久坂・三戸・楢崎、入京
◆6/2【京】長州藩主父子に召命の沙汰/【江】仏公使、幕府に艦隊出航を通告
◆6/6【京】)朝廷、列藩に長州に倣った「夷船攘斥」を促す//中川宮、攘夷先鋒となることを請願【長】高杉、山口に赴き、来島又兵衛らと協議して奇兵隊創設/
◆6/7【京】朝廷、親兵隊長に小笠原上京に備えるよう命令/長州藩主父子どちらか1名に上京の沙汰
◆6/8【京】真木和泉、入京
◆6/9【江】幕府、仏公使に攻撃猶予と幕府への処置委任を求める/天皇の久光召命密勅(5/30)、薩摩に届く。
◆6/11【京】薩摩藩士、九門内(築地)の往来を許される
◆6/12【京】老中水野忠精、長州藩を詰問/越前藩挙藩上京:村田巳三郎、薩摩藩高崎左太郎・吉井幸輔に藩論を説き、同意を得るが時機を待つよう助言される
◆6/13【江】慶喜、即時攘夷の困難を理由に2度目の辞意を示す/朝廷、小倉・津和野・中津・秋月・福岡藩に長州藩の応援を命ず
◆6/14【京】朝廷、攘夷監察使を長州に派遣
◆6/16)【京】)翠紅館会議。攘夷親征論確定(真木和泉、桂・清水清太郎・寺島ら)【江】将軍着府
◆6/18【小倉】長州藩、攘夷戦争に加勢しなかった小倉藩を侵攻/【京】朝廷、列藩に対し、無二念打払の沙汰
◆6/19【京】長州藩主召命の見合わせの沙汰
◆6/21【京】朝廷、慶喜の後見職辞表を却下
◆6/24【江】慶喜、薩長処分の意見が容れられず3度目度の後見職辞表提出
◆6/26【京】将軍家茂、攘夷期限御委任の奏請書を送る
◆6/28【京】十津川郷士、武家伝奏の附属となる【薩】:)英国艦隊、鹿児島来航。
7
◆7/1【京】天皇、及び親王から残暑見舞いとして生鯛を容保に(七)。
◆7/2【江】老中、容保に慶喜の意見書・辞表を朝廷が許可せぬよう周旋依頼/【坂】壬生浪士、石塚岩雄を梟首
◆7/4【京】朝廷、後見職辞任をi慰留
◆7/8【京】幕府使者牧野鋼太郎到着。攘夷期限委任の将軍上奏書を朝廷に提出するようにとの老中の指示を伝える。容保提出を留保
◆7/11【京】久光召命の沙汰
◆7/16【京】牧野東帰。容保、老中へ将軍上奏書留保の親書を託し、家臣野村左兵衛を同行させて老中に説明させる。また、慶喜上洛による攘夷委任の奏請を老中に建議
◆7/17【京】朝廷、薩摩藩国父島津久光の召命を取りやめ・孝明天皇激怒
◆7/19【京】「天誅」I:浪士、久光召命派の徳大寺家の家臣を暗殺
◆7/20【京】諸藩親兵の内講六門警備開始「天誅」久光召命派の近衛前関白・二条右大臣・徳大寺内大臣邸に脅迫状
◆7/21【京】所司代は守護職の指図に従うようにとの幕命/二条右大臣、会津公用人大野英馬と種々密談
◆7/23【京】久留米・薩摩・盛岡・芸州・小田原・佐倉・水戸・因幡藩親兵、交替で唐門内の警衛開始
◆7/24【京】天覧馬揃:因幡鳥取藩の建議により、28日に会津藩に天覧馬揃えの朝命/
◆7/26【京】浪士、東本願寺用人を天誅/
◆7/27【京】因幡藩の御所警衛開始/天誅II(5)浪士、二条右大臣の「落胤」暗殺。越前藩宿舎に予定された高台寺放火事件
◆7/28【京】天覧馬揃:雨天のため、30日に延期。町奉行播磨、公用方広沢と内談。

◆7/30【京】天覧馬揃:雨中、会津藩の天覧馬揃え決行(小銃空発はNG)。/町奉行瀧川播磨守、会藩公用方広沢富次郎(安任)と会談。/
◆7/1【京】前関白近衛忠熙父子、久光召命密勅の返答を督促・上京を促す/前関白父子、久光召命を建白
◆7/2【京】薩藩吉井幸輔・奈良原繁、越藩村田に急進派退治への協力を申し出おさらい:越前藩・薩摩藩の事情)【鹿】)薩英戦争勃発/
◆7/4【京】近衛前関白、村田に攘夷親征は叡慮でないと語る
◆7/5【京】近衛前関白ら攘夷親征の評議に外様藩を含めた諸藩を召すことを建白
◆7/6【京】急進派公卿、攘夷親征の布告を建言
◆7/9【京】近衛前関白父子、久光に召命建白を知らせ、急速上京を促す【江】幕府、長州藩に外国船打払い禁止を厳命
◆7/11【京】長州藩、攘夷親征建白を議定/因幡藩主池田慶徳、攘夷親征について慎重論を上書/久光召命の沙汰を決定
◆7/12【京】再入京の村田、吉井幸輔に久光入京前の朝廷改革決行を説く
◆7/13【京】近衛前関白、村田に、天皇は越前藩の国論に同意だとの沙汰を告げる
◆7/17【京】朝廷、久光召命中止の沙汰
◆7/18【京】長州藩、鷹司関白に攘夷親征を建白/【江】慶喜の上京決定
◆7/23【【越】藩論逆転。挙藩上京計画中止(おさらい)【薩】久光、召命に対し、今は出発できないが、奈良原に申し含めた通りになるときは大挙上京するとの返書
8
◆8/1【坂】大坂城代松平信古、容保に上京延引を周旋するよう依頼
◆8/2【京】孝明天皇、会津に対し、深く頼もしく思う内旨を口達させる
◆8/3【京】会津藩に再度の天覧馬揃えの朝命
◆8/4【京】久光の返書をもって奈良原入京
◆8/5【京】会津・阿波・因幡・備前・米沢の五藩による天覧馬揃/幕府、会津藩に守護職費用として一万両を付与
◆8/9【京】中川宮に西国鎮撫使の命。/壬生浪士、京都の力士に小結を殺害させる。
◆8/10【京】土佐藩士下許武兵衛、会津藩公用局を訪ね、会土連携を図る/壬生浪士、佐伯又三郎殺害(久坂玄瑞による殺害説あり)
◆8/12【京】「天誅」西本願寺用人松井中務梟首・油小路商人井筒屋梟首/壬生浪士?、生糸商大和屋焼き討ち
◆8/13【京】因幡・備前・阿波・米沢藩主、攘夷親征の詔猶予を請う/「攘夷親征」の詔公布/会薩・中川宮連合の発足/中川宮、西国鎮撫辞退
◆8/14【京】在京公武合体派諸侯と急進派公卿、親征可否の激論/
◆8/15【京】朝廷、長州・加賀・肥後・薩摩・久留米・土佐藩に行幸&親征御用金十万両の調達を命ず
◆8/16【京】)朝、中川宮参内して急進派処分を奏す。孝明天皇賛意を示すが内勅は下さず/夕、孝明天皇、中川宮に会津・因幡両藩に処理させよとの密旨。
◆8/17【京】夜、守護職・所司代・薩摩に参内の内命
◆8/18【京】禁門の政変(8.18の政変)
◆8/19【京】七卿の都落ち/朝廷、幕府&諸大名に攘夷督促の沙汰/九門中、中立売・今出川・清和院の三門が開かれる
◆8/21【京】壬生浪士、市中見廻りに任ぜられる/会桑・壬生浪士、桂小五郎追放に出動?
◆8/22【京】朝廷、政変の顛末を諸藩に告知/関白鷹司輔熙、辞表提出
◆8/23【京】)因備両藩主の長州擁護の上書
◆8/24【京】七卿の官位停止/政変顛末(修正版)再布告/六門開放・九門往返の許可/【江】将軍家茂、政変の功を賞し、容保に差料下賜
◆8/25【京長州間者4名、壬生浪士入隊?
◆8/26【京】在京諸大名の召集。「18日以降の勅が真」と伝宣。/
◆8/27(【京】京都守護職より市民安堵の町触れ
◆8/28【京】因幡・備前・阿波・米沢、攘夷監察勅使東下を建議/容保、洛内外警備強化の朝命を諸藩に通知(家)
◆8/29【京】朝廷、長州藩主父子への沙汰伝達(長州退京の朝命)【江】幕府、容保の領地増加/
◆8/30【京】守護職に天誅組追討の達し/守護職の要請により、諸藩士・浪人取締の朝命/前尾張藩主徳川慶勝、勅召によって入京
◆8/4【京】朝廷、幕府に三港(箱館・横浜・長崎)閉鎖を督促
◆8/9【江】幕府、8月20日頃の横浜鎖港交渉開始決定。慶喜、上京延引の上書を因幡藩主池田慶徳に託す
◆8/11大津宿に「朝敵春嶽」の道中に協力する者への天誅予告の張り紙
◆8/12【京】因幡藩主池田慶徳、親征朝議中止の上書提出/【江】幕府、万石以上の在府諸侯に鎖港交渉開始を布告/
◆8/13【【江】慶喜、攘夷実行(鎖港交渉開始)のため上京延期
◆8/14【京】平野次郎(國臣)、宮部鼎蔵、桂小五郎・久坂玄瑞らに学習院出仕の沙汰 /在京公武合体派諸侯と急進派公卿、親征可否の激論/【江】幕府、前尾張藩主徳川慶勝に摂海防御指揮を命ず/【鹿】:久光、春嶽の決起を促す書簡に同意の返書を認め、越前藩と同時に上京・国事周旋をする決意を示す
◆8/15【坂】天誅組、堺到着。軍令を発す
◆8/17【大和】天誅組、五条代官鈴木源内殺害・梟首(大和の乱)
◆8/19(10.1)【京】近衛前関白父子、久光上京を促す書簡を認める/【長】急進派、中根一行を旅宿に襲撃。小人目付鈴木八五郎を梟首
◆8/21【長】急進派、帰路の中根一之丞を海上に殺害
◆8/22【京)朝廷、政変の顛末を諸藩に告知/関白鷹司輔熙、辞表提出【長】長州藩、世子定広の上京決定
◆8/23【江】幕議、鎖港決定/慶喜、監察使(のち攘夷別勅使)東下を内請/【長】政変の報、山口に達する
◆8/25【京】薩摩・土佐、親兵解散を建議
◆8/27【長】七卿・一行、三田尻到着/
◆8/28【京】久光・容堂鍋島斉正に勅召/因幡・備前・阿波・米沢、攘夷監察の勅使東下を建議/朝廷、紀州等に天誅組追討令
◆8/30【江】老中首座酒井忠績(雅楽守)上京の途へ

9

◆9/1【京】攘夷別勅使有栖川宮・副使大原重徳の東下決定。容保・攘夷別勅使に随行の命、後見職一橋慶喜に鎖港督促の沙汰/
◆9/2【京】朝廷、堂上へ武家との交際禁止の回達/
◆9./3【江】老中水野忠精、江戸留守居役を呼び出し、将軍手許金・金5万両下賜を伝える。3万両交付。残りの2万両は追って交付するので勘定奉行と打ち合わせるようにと。
◆9/4【京】容保、攘夷別勅使随行を辞す/朝廷、守護職に天誅組追討督促
◆9/5【京】親兵解散

◆9/14【京】老中酒井忠績参内。攘夷督促の沙汰/
◇9/18【京】壬生浪士芹沢鴨・平山五郎暗殺(容保の指示という説あり)
◆9/19【京】二条右大臣に内覧宣下
◆9/20(.11.1)【京】春嶽再上京:会津藩小野権之丞、春嶽が総裁職無断辞職・帰国を朝廷に詫びれば逼塞解除になるとの内示を越前藩士に伝える/
◆9/21【越】越藩土屋小六、福井着。容保の内示を伝える
◆9/23【越】島田近江・出渕伝之、春嶽の容保&永井尚志宛書状をもって京都へ出立。【京】会津公用方、近藤勇の東帰要請を断る
9/25【京】老中酒井、鎖港談判に関する幕府の書簡を容保に/
◆9/26【江】幕府、容保に小倉藩処分、及び無二念打払い勅諚取り消しに関する朝廷周旋を依頼/【京】新選組、長州の間者を殺害
◆9/27【京】:容保、談判開始に関する後見職慶喜・老中の上書を奏上/容保、春嶽の速やかな上京を促す
◆9/28【京】容保に対し、在京潜伏長州藩士取締の勅命/
◆9/29(【江】老中、談判困難を容保に報せる/
◆9/1【京】越前藩に上京無用の沙汰/【鹿】大久保利通、春嶽に久光上京決定を報せ、春嶽上京を促す/【長】長州内訌:直目付毛利登人・前田孫右衛門・表番頭格周布政之助罷免
◆9/7【江】将軍家茂、川越藩主松平直克にしばしば登城するよう命じる
◆9/8【京】因幡藩主池田慶徳帰国の暇を請う/【江】慶喜、鎖港実行を奉答
◆9/9【坂】老中酒井忠績・軍艦奉行並勝海舟ら着坂【長】長州内訌:直目付毛利登人・前田孫右衛門・表番頭格周布政之助ら復職
9/13【江】牧野忠恭、老中に【京】長州家老根来入京/壬生浪士田中伊織暗殺
◆9/14【江】幕府、米蘭公使に横浜鎖港談判開始
◆9/16【長】長州藩、世子定広の上京を決定
◆9/17【京】朝廷、根来の入京不可。政変当日の毛利元純らの挙動の取調べを命令
◆9/19【江】米英仏蘭の四国公使、幕府との会見に応ぜず/【坂】長州藩邸、根来上京不可の朝命に従うことを決定
◆9/21【江】長州処分幕議
◆9/24【京】鷹司関白の差し控え御免【吉野】大和の乱終結。。中山忠光ら7名脱出、長州へ
◆9/28【京】肥後熊本藩主の息子長岡護久・良之助兄弟入京/
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◆10/1【京】伝奏、容保に浪士取締の命を幕府親藩に伝えさせる(外様へは朝廷が直接布告)
◆10/3【江】幕府、会津藩に金5万両を下賜/【京】島津久光入京/
◆10/5【京】容保、容保に8.18政変事の協力を謝す(家)
◆10/6【京】諸藩に対し、公卿入説の藩士・浪士取締の朝命/徳川慶勝、攘夷別勅使東下中止の上書
◆10/7【京】慶喜に上京の勅命・攘夷別勅使東下猶予の沙汰./
◆10/9【京】孝明天皇より容保に秘密の内賀/
◆10/10【京】将軍家茂に上京の勅命/慶勝帰国/一力茶屋で会津主催の公武合体派集会。
◆10/11【京】備前藩主池田茂政(攘夷強硬派)帰国/容保参内。(家)
◆10/12【京】諸藩に対し、攘夷は幕府の指揮を受け、軽挙暴発を戒めるようにとの勅命
◆10/13【京】容保、老中に使者を送り、京都の事情を述べさせる(家)
◆10/14【近江】容保の書簡、上京途中の春嶽のもとに届く
◆10/15【京】新選組、禄位辞退の上書を会津藩公用方に提出
◆10/19【京】春嶽(前18日入京)、容保訪問/
◆10/20【京】容保に対し、非常の際の事前許可なし参内認められる。
◆10/23【江】幕府、守護職役地の5万石を付与/容保、十津川郷民の救済策を命ず/【
◆10/26【京】容保、東下する軍艦奉行並勝麟太郎に将軍上洛周旋を依頼
◆10/27【京】守護職容保批判の張り紙
◆10/28【京】孝明天皇、「8・18政変以来、意のままにならないので三条実美に伝えよ」「天下のことを三条実美に委任したい」と言ったという風説を否定する宸翰を中川宮(尹宮)へ
◆10/29【京】)将軍家茂上洛に関する再度の朝命を容保に付与 
◆10/3【京】久光入京/
◆10/6【京】紀州藩主徳川茂承入京
◆10/8【京】久光、春嶽に早期上京を促す書簡
◆10/11【京】備前藩主池田茂政(攘夷強硬派)帰国/【江】川越藩主松平直克政事総裁職に/
◆10/12生野の乱勃発・代官所を無血占拠し、農兵募集。
◆10/14【生)乱終結。河上ら13名、自刃
◆◇10/15【京】久光、朝廷は旧弊を改めて永世不抜の基本を立てるべきなどの意見書を中川宮に提出
◆10/16【江】 三奉行の御用部屋入り停止
◆10/17【江】将軍上洛辞退&後見職慶喜上洛の幕議
◆10/18【京】春嶽入京
◆10/19【京】久光、春嶽に幕府が「私」を棄てることの重要性、賢明諸侯の会同、横浜鎖港問題反対等の意見を述べる。また、幕薩関係改善の仲介を依頼/福岡藩主入京/
◆10/22:【京】春嶽、薩摩藩高崎猪太郎に幕府は「天下公共の理」に基づき速やかに「私」を脱却すべきだと語る
◆10/23【江】一橋家用人中根長十郎暗殺される長】根来、入京しないまま山口着
◆10/27【長】藩主敬親、家老井原主計に入京・嘆願(奉勅始末)提出を言い含める/
11
11/1【江】老中連署して勅書奉戴を伝奏に送り、容保に書状を付与/容保、幕府目付け戸川に但馬(生野)鎮撫を命ずる
◆11/2【坂】慶喜、着坂
◆11/4【京伝奏より諸藩に浪士捕縛許可
◆11/5【京】伝奏、浪士取締の回達書を諸藩に/所司代、浪士取締の方法を諸藩に示す/幕府、長州藩に潜伏藩士取締を命ず
◆11/8伝奏、朝命2通を容保に渡し、親藩に通知させる。(家)
◆11/7【京】長州処分:春嶽・容保、中川宮訪問。 長州&七卿処分に関する諸侯協議は慶喜着京を待つことに
◆11/12慶喜、兵庫に着港/会津藩・新選組、将軍後見職慶喜警護の一員として下坂
◆11/15【京】長州留守居乃美、朝廷に家老井原主計の入京許可を請う/【江戸城火災】
◆11/16【京】越藩中根ら、会津藩秋月悌次郎を訪問し、政変について聞く/新選組、将軍後見職慶喜警護の一員として下坂
◆11/19【京】江戸城火事の報が届く。春嶽・宗城・久光、馬を走らせて施薬院の容保を訪ね、将軍上洛延引不可を議決
◆11/20【京】薩藩高崎左太郎、越前藩と各藩から将軍上洛を促す使者を出すことを相談
◆11/21【坂】慶喜、大坂城入城/【京】永井尚志・小野権之丞、東下
◆11/22【京越前藩・薩摩藩・筑前藩・肥後藩の使者、東下/
◆11/26(1.5)【京】慶喜入京。(おさらい:横浜鎖港問題と慶喜上京/長州家老井原主計、朝廷に入京嘆願
◆11/27【京】井原家老、伏見に到着/容保参内、将軍上洛奏上
◆11/28【京】慶喜・春嶽・伊達宗城、井原の入京を議す。会藩秋月悌次郎、井原の入京及び伝奏を伏見に派遣することを反対。
◆11/29【京】春嶽、会津藩に同藩士による井原の応接を提案。秋月、会津と長州は仇敵のような状況であると、これを断る」
11/1薩摩藩、生麦賠償金七万両を支払う/【京】二条斉敬右大臣・薩摩藩小松帯刀、春嶽に国事の意見をきく。春嶽、朝幕が「私」を棄て「天理」に基づくこと、政体は衆議で決定することなどを述べる
◆11/3【京】伊達宗城入京/春嶽、参内
◆11/4【江】勝、登城し、将軍上洛を上言・上洛掛の内命
◆11/5【江】幕府、将軍上洛の勅書奉承
◆11/6【京】)春嶽、長州・七卿処分は国是を決定した上で長州・七卿処分あるべきとの久光の意見に同意する旨を高崎猪に告げる。
◆11/8【長】家老井原、奉勅始末提出に上京へ・久坂随従
◆11/9【長】坪井九右衛門が野山獄で処刑
◆11/12【京】越藩中根雪江入京/【江】幕府、衣服省略の命(文久2年の改革)を改める
◆11/15【京】孝明天皇、島津久光に密勅21条を下す
◆11/23(1.2)【京】水戸藩主名代松平昭訓死去。
◆11/26(1.5)【京】/春嶽、慶喜と会談(薩摩藩への嫌疑、中川宮・会・薩への報酬、江戸における守旧派
◆11/27【京】幕府、12月下旬の将軍出発を達す
◆11/29【京】久光、密勅の奉答書を近衛前関白に提出。
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◆12/1(1.9)【京】伏見の伊原、再び入京嘆願/慶喜・春嶽・宗城・久光、井原の趣意を聴取させるため、伏見に朝廷執次と所司代役人派遣することを決定秋月、意見を述べる)
◆12/2【江】)政事総裁職松平直克、容保に老中板倉勝静の将軍随従困難を述べ、後見職慶喜の帰府・江戸城の留守を任せることの周旋を依頼
◆12/4【京】中川宮・容保天誅の落書
◆12/5【京】)薩摩藩、賢諸侯を議奏にと提議
◆12/6【京】中川宮ら、慶喜・春嶽・宗城・久光・容保らに将軍上洛督促の朝命・長州処分について諮問、慶喜、速やかな将軍上洛を促す上書/長州家老井原、再度入京嘆願/朝廷、浪士処置を呈示/
◆12/7【京】慶喜・春嶽・容保・宗城・久光ら在京諸侯、朝廷に中川宮擁護の上書提出
◆12/8【京】/朝廷、浪士取り締まりを通達
◆12/10【京】春嶽・容保・宗城・久光ら連署で老中に将軍上洛を促す
◆12/11【京】嘆願:勧修寺家雑掌・所司代公用人、伏見の長州藩家老から奉勅始末・取調書を受け取る。また入京嘆願の請願を受ける。
◆12/13【京】嘆願:参内諸侯、井原帰国を内決/容保、将軍再上洛に備え、施薬院から寺町淨花院へ(家譜は16日)
◆12/14【京】嘆願:後見職邸で長州藩提出の書面を詮議、井原に帰国を命じることを決める。/長州家老井原、三度目の入京嘆願570
◆12/16【京】朝廷、井原の入京嘆願を退け、帰国の沙汰
◆12/19【伏見長州家老、四度目の入京嘆願/【京】慶喜・容保、二条右大臣の諮問に対し、伏見に使者派遣すべきと答える/
◆12/20【京】朝廷、歓修寺経理を藤森神社に遣わし、井原の口上を聴取することを決定
◆12/21【伏見】勧修寺経理、藤森神社で井原の陳情を聴取/有栖川宮、井原に使者を遣わし、下坂して朝命を待つことを諭させる/【京】中川宮邸会議:慶喜・春嶽・宗城らの朝議参加、久光の叙任等を協議/
◆12/23【京】朝廷、三条実美ら帰京主張の鷹司輔煕の関白罷免。二条斉敬、新関白に(慶応3年1月9日まで関白) 。徳大寺公純は右大臣、近衛忠房は内大臣。
◆12/25【京】二条城にて初の有力諸侯会議容保参加)
◆12/30【京】慶喜・春嶽・容保・容堂・宗城、朝議参豫に任命され
◆12/2【江】)幕府、外国奉行支配組頭田辺太一らに横浜鎖港談判施設随行を命じる。
◆12/3【京】孝明天皇、中川宮に浮説の真偽を問う
◆12/4【京】中川宮に浮説は気にせず扶助せよとの宸翰/中川宮・容保天誅の落書
◆12/8【京】慶喜、春嶽に、新総裁職松平直克が将軍上洛時に幕権回復を企図していることを告げ、その善後策を相談
◆12/9【京】朝廷、慶喜に水戸藩士統率を委任
◆12/10【江】幕府、老中板倉に将軍上洛用掛を命じ、老中有馬道純に先発上京を命じる
◆12/11【江】鎖港使節(3)幕府、池田長発・河津祐邦・河田熙に横浜港永久閉鎖を談判するよう命ず
◆12/13【江】老中有馬、海路上京の途へ
◆12/16【肥後】士道忘却事件(4)肥後藩、横井小楠・都築四郎の士籍剥奪・禄召し上げ
◆12/17幕府、将軍家茂の12月27日海路発途を布達
◆12/18【京】中川宮・春嶽・宗城、政事総裁職松平直克上京の際は幕府の旧習への回復は非だと説得すること、島津久光叙任などを話し合う/近衛忠房と薩摩藩国父島津久光養女貞の婚姻/彦根藩主井伊直憲入京
◆12/22【京】参豫会議へ:春嶽、慶喜に幕習から脱した「創業」・政体の基本は衆議の上確定を確認・二条城の諸侯集会決定
◆12/24(2.1)【下関】長州藩、薩摩が幕府から借り上げた長崎丸を砲撃・沈没させる
◆12/27【江】 家茂江戸を出立/【京】慶喜・春嶽、将軍長期滞在の必要性を語る
◆12/29【神奈川】横浜鎖港交渉使節、仏国軍艦ル・モンジュに乗り、出航。上海へ

主な参考文献:(リンク先も参照してください)
『七年史』、『会津松平家譜』、
『続再夢紀事』、『伊達宗城在京日記』、『維新史』、『徳川慶喜公伝』、『維新史料綱要』


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