2月の「幕末京都」 幕末日誌文久4/元治1 開国開城 HP内検索 HPトップ

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文久4年1月4日(1864年2月11日)
【京】在京諸侯参内/
参豫(3)参豫諸侯、前勧修寺門主(→山科宮)の還俗を建言
【長】直目付桂小五郎の職を免じ、京阪に潜伏させる

■朝議参豫の動き
【京】文久4年1月4日(1864年2月11日)、在京諸侯が参内し、新年を祝いました。その後、参豫たち(一橋慶喜・松平春嶽・松平容保・伊達宗城)は関白二条斉敬らに謁し、前勧修寺門主(のちの山科宮)の還俗・親王宣下を建議しました。

これが、参豫諸侯にとって、初めての朝廷に対する集団アクションになります。朝議があったわけではないのですが、参内したのでこの機会に建議ということになったようです。

なお、参豫辞退の意思を春嶽に知らせた山内容堂は病を理由に参内自体を辞していました。

関連:■開国開城「政変後の京都−参豫会議の誕生と公武合体体制の成立」 ■テーマ別元治1「朝議参豫の動き」 ■越前藩日誌文久3薩摩藩日誌文久3 ■徳川慶喜日誌文久3
参考:『続再夢紀事ニ』p328(2007.12.15)

■桂小五郎
【長】同日、長州藩は直目付桂小五郎の要請を受けて職を免じました。京阪神に潜伏させるためです。

・・・と、『維新史料綱要』にはあるのですが、中公新書の『木戸孝允』では1月5日に上京を命ぜられたと書かれています。(さらっと流して書いてあるだけで、前後関係がよくわかりません。後日、あの分厚い防長回天史に挑戦する気力がわいたら、追加修正しますm(..)m)。(2007.12.15)

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