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私的徳川慶喜日誌 文久3(1863)-27歳

「今日の幕末京都」の過去ログ「幕末日誌」から慶喜関連記事を抜粋しました。「今日」は毎日の更新なので、多忙時など抜けていることもあります。慶喜の略年譜はこちら

文久2年(1862)← →元治元年(1864)

1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
慶喜に関る主なできごと その他の幕末の主なできごと

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◆1/5 【京】将軍後見職一橋慶喜入京(27歳)


◆1/11【京】久坂玄瑞ら攘夷期限決定のため慶喜に面会を迫る?



◆1/16【京】中根靱負、慶喜に将軍上洛の延期を報告。岡部長常、中根に京都の厳しい情勢を語る
◆1/21【京】容保、慶喜に言路洞開を説く。


◆1/29【京】浪士対策(2)国事御用掛、諸藩に浪士の攘夷先鋒を諮問
◆1/2(2.19)【江】薩摩藩士吉井幸輔着府。政事総裁職松平春嶽を訪ね、近衛関白の密書を渡す。【京】守護職松平容保、初参内。御衣下賜
◆1/3【京】長州藩世子毛利定広参内。攘夷周旋の功で御衣下賜。
◆1/4【江】春嶽・容堂、吉井・大久保を引見し、薩摩藩の将軍上洛延期案に同意 
◆1/5【江】春嶽、将軍上洛延期を幕議で内々に提案。老中の同意を得る 
◆1/6【江】吉井・大久保、春嶽と内談。将軍上洛延期の朝命の周旋を決定/
◆1/7【江】吉井・大久保、春嶽に朝廷への加増を建議。春嶽、近衛関白宛書簡を託す/幕府、松平主税助に浪士募集を命ずる。 
◆1/8【江】春嶽・容堂・大久保、将軍上洛延期を3月中旬までと決める【坂】老中格小笠原長行、勝海舟らとともに着坂。
◆1/9【江】大久保利通、朝命周旋のため、江戸を出立
◆1/15【京】大久保利通・中根靱負入京
◆1/17【京】大久保、中根に延期周旋の困難さを説明・本多弥右衛門・藤井良節、内談。
◆1/22【江】春嶽、海路上京の途につく。
◆1/23【京】公武合体派近衛忠煕、関白辞表(内覧は継続)。鷹司輔熙新関白に。
◆1/24【京】池内「天誅」事件(2)。
◆1/27【京】朝廷、公武合体派議奏中山忠能・正親町三条実愛の辞職を許可・翠紅館の尊攘派会合 
◆1/25【京】山内容堂、入京
◆1/28【京】千種有文の家臣賀川肇「天誅」事件
◆1/29【京】春嶽着坂。 
◆2/5【京】慶喜、将軍上洛の上の攘夷期限決定を鷹司関白約束
◆2/9【京】激派公卿12名の関白鷹司邸列参/慶喜、将軍帰府後の攘夷を約束
◆2/10【京】慶喜・春嶽に将軍上洛前に攘夷期限の内奏をするようにとの沙汰/
◆2/11【京】久坂玄瑞・寺島忠兵衛・轟武兵衛、鷹司関白に(1)言路洞開、(2)人材登用、(3)攘夷期限決定の三策を迫る/天皇、請願を勅許/慶喜、朝廷に4月中旬の攘夷期限を約束
◆2/12【京】朝廷、将軍滞京を10日とする沙汰を慶喜に
◆2/14【京】慶喜・春嶽・容保ら、脱藩者は帰藩させ、主のない者は幕府が扶助と方針決定
◆2/16【京】鷹司関白、朝議の結果、浪士処遇を慶喜に任せたいと春嶽に書簡 
◆2/17【京】春嶽ら、浪士処遇を任せるよう関白に返書 
◆2/19 【京】春嶽、慶喜らに政令帰一(大政委任か政権返上の二者択一)を論じる/ 
◆2/20【京】慶喜・春嶽・容保・容堂、政令帰一を論じに鷹司関白邸訪問
  
◆2/21【京】鷹司関白、将軍上洛時には大政委任の沙汰あるべきと慶喜・春嶽・容保・容堂に告げる 
◆2/24【京】慶喜・春嶽ら、将軍帰府の上での返答&英国への期京限延期申入れを議定/幕府、薩摩藩に英国の要求に対する心得を達す 
◆2/26【京】慶喜・慶勝・春嶽ら、開戦の覚悟を定めること、江戸守衛のため水戸藩主慶篤に帰府を命じること、諸侯帰国の暇を出すことを鷹司関白に請う 
◆2/3(3.21)【江】英国艦隊、横浜に入港
◆2/4【京】春嶽入京 
◆2/5【京】容保、春嶽に、武田耕雲斎に浪士をまとめさせて攘夷先鋒にと提案/
◆2/6【京】春嶽、容保に異見があると伝える
◆2/7【京】春嶽、浪士を制するために朝議を固めるよう促す鷹司関白宛ての建白を起草
◆2/10【京】春嶽、鷹司関白に浪士処遇の朝議確定を促す建白書を提出 
◆2/13【京】国事参政・国事寄人設置
◆2/19 【江】英国代理公使ニール、謝罪と償金の返答を要求。返答期限は3/8
◆2/20 【京】長州世子定広、攘夷祈願の加賀茂両社・泉涌寺行幸を建議朝廷、草莽の建言を許す
◆2/22 【京】足利将軍木像鳩首事件(1)
◆2/25【京】薩藩吉井幸輔・藤井良節、京都を出発
◆2/26 【京】木像鳩首事件(3)犯人捕縛(守護職の浪士対策、強硬策に転換)/
◆2/27 【京】朝廷、和宮守護のための水戸藩主東帰を命じる。諸侯帰国暇の朝命/朝廷、親兵設置を発令/容保、浪士を攘夷先鋒として指揮下にと朝廷に上書/【京】勅諚改竄(3)大原重徳、(薩長融和のための)勅書改竄の罪で辞官・落飾・蟄居に
◆◇2/28【京】幕府、在京諸侯に帰国の達し/長州藩、学習院に石清水行幸(親征)及び親兵差出を建議/
◆2/29水戸藩、東帰の議論・桂小五郎の使者到着
◇2/30 浪士組、東帰・攘夷を命じるようにと学習院に上書を提出◆2/30【京】春嶽、総裁職辞職を内決/ 

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◆3/4【京】将軍徳川家茂上洛/二条城で政令帰一会議
◆3/5 【京】慶喜、将軍名代として大政委任の勅書獲得/春嶽、将軍辞表の意見書提出/水戸藩主徳川慶篤(慶喜兄)入京
◆3/7【京】将軍家茂、参内。勅書が下賜される(ことがらによっては諸藩へ御沙汰あり慶喜随従
◆3/8 【京】慶喜、将軍滞京と水戸藩主東帰請
◆3/9【京】春嶽、総裁職辞表提出
◆3/11【京】賀茂行幸(慶喜供奉)
◆3/12【京】慶喜、春嶽に留任を勧告
◆3/14【京】朝廷、幕府に親兵設置督促
◆3/15【京】春嶽、大政奉還を老中に説く 
◆3/17【京】幕府の将軍東帰奏請(背景)
◆3/18【京】将軍東帰抑留の勅書&大坂で生麦事件交渉の沙汰の勅書、親兵設置の幕命、/石清水行幸の沙汰
◆3/19【京】孝明天皇の親勅により、東帰中止。戦争は好まずとの直喩。また、摂海攘夷指揮の勅は偽勅と判明
◆3/21【京】春嶽、辞任届け捨てのまま離京
◆3/22【京】)将軍滞京の三度目の勅/水戸藩に東帰・攘夷戦争指揮の朝命/
◆3/25【京】将軍目代慶篤、生麦事件解決のため東帰
◆3/27【京】石清水行幸に将軍供奉の沙汰(慶喜も)

関連「開国開城」「大政委任問題と公武合体策の完全蹉跌

◆3/2【京】攘夷親征(4)賀茂行幸に将軍随従の達し
◆3/3 【京】春嶽、将軍家茂に辞任を勧告/)鷹司関白より、鵜殿鳩翁へ攘夷のための浪士組東帰を命じる
◆3/7 【京】)将軍家茂、参内。勅書が下賜(ことがらによっては諸藩へ御沙汰あり)
◆3/9 【京】春嶽、総裁職辞表提出
◆3/10 【京】容保、浪士差配を命ぜられる/芹沢鴨・近藤勇ら残留希望浪士17名、会津藩に嘆願書提出

◆3/12【京】残留浪士組、会津藩お預り
◆3/13【京】東帰浪士、江戸に向けて出立
◆3/14【京】薩摩藩国父・島津久光入京、14か条の建議 
◆3/18【京】島津久光退京 /石清水行幸の沙汰
◆3/20【京】激派公卿中山忠光、京都を出奔
◆3/21【京】春嶽、辞任届け捨てのまま離京
◆3/26【京】幕府、春嶽の総裁職罷免・逼塞
◇3/28【江】東帰浪士組、江戸に到着。
◆3/30【京】幕府、長州藩の兵庫守衛を免除&諸藩の京都警衛場所を定める/
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◆4/10【京】将軍、発熱を理由に供奉辞退(慶喜発案)
◆4/11【京】石清水行幸(慶喜供奉)


◆4/18【京】幕府、将軍退京&攘夷のための慶喜東帰を奏請
◆4/19【京】慶喜、攘夷期限を5月10日と内定
◆4/20【京】幕府、攘夷(拒絶)期限5/10と布告
◆4/21【坂】将軍家茂、大阪湾巡視に下坂

◆4/22【京】慶喜、破約攘夷実行のため江戸へ出立
◆4/26【熱田】慶喜、江戸に破約攘夷・開戦覚悟の訓令を発する/

関連「開国開城」「幕府の生麦償金交付と老中格小笠原長行の率兵上京
◆4/3(5.20)【京】三条実美、京都御守衛御用掛就任/
◆4/5【京】慶喜、鷹司関白に石清水行幸を諌止
◆4/9【京】二条城に石清水行幸に変事を示唆する張り紙/容保、将軍供奉とりやめを諌止/
◆4/10【京】将軍、発熱を理由に供奉辞退
◆4/11【京】石清水行幸
◆4/13【江】清河八郎暗殺
◆4/17(6.3)【京】三条橋に将軍天誅の張り紙/
◆4/22【京】孝明天皇、中川宮に薩摩を上京させよとの密勅
◆4/23【坂】姉小路公知、摂海巡視のため、長州・肥後藩士らを率いて下坂/
◆4/24【京】神戸海軍操練所・造船所建設の幕命/
◆4/25【京】姉小路公知、大坂湾巡視。開国説へ/
◆4/26【京】徳川慶勝将軍輔翼就任/
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◆5/8(6.23)老中格小笠原長行、独断で償金支払い命令(慶喜との黙契)/
◆5/14【京】慶喜、後見職辞表を朝廷に提出



◆5/19【京】老中格小笠原、率兵上京の途に


◆5/9【京】朝廷、海防に関する朝旨三か条を幕府に伝える/ (勝、姉小路の奏聞の結果だと感激)
◆5/10攘夷期限。【長】攘夷戦争(9)長州藩(光明寺党)、下関で米国船ペンブローグ号砲撃
◆5/12【横】ロンドン密航の井上馨(聞多)・伊藤博文(俊輔)・山尾庸三・井上勝・遠藤謹助(長州ファイブ)、横浜出港
◆5/13【京】中根、老中板倉勝静に面会し、外国人・朝幕諸侯・草莽の大会議開催を説く意見書を提出
◆5/20【京】朔平門外の変1(国事参政姉小路公知暗殺)会津藩、御所九門独占警備担当を朝廷に要求/将軍帰府の請願
◆5/21(7.6)【京】朔平門外の変(2)三条実美への脅迫状/朝廷、諸藩に御所外講九門警備を命令
◆5/23【長】仏軍艦キンシャン号砲撃/
◆5/24【京】将軍東帰が朝議で内定。/【越前】挙藩上京計画が内定/
◆5/25【京】朔平門外の変(3)朝命により、会藩、薩人田中新兵衛逮捕 
◆5/26【京】朔平門外の変(4)薩人田中新兵衛自刃。薩摩の乾門(外)警備罷免。薩摩関係者の九門内往来禁止の通達。/
◆5/27【京】朝廷、武家に内構六門警備を命令/中根、老中水野に意見書を提出。坂本龍馬、中根に春嶽の上京を促す
◆5/29【京】中根、中川宮に東帰問題・王政復古の朝議の模様を聞く
/【京】朝議、攘夷決行のための将軍東帰を内定孝明天皇、久光へ上京・「姦人を掃除」せよと勅書
◆5/30【京】朝廷、老中に将軍東帰の暇内定を伝達/将軍、容保に滞京・京都守護を内命。
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◆6/2(7.17)【京】朝廷、慶喜の後見職辞職を却下
◆6/13【江】慶喜、即時攘夷の困難を理由に2度目の辞意を示す





◆6/16【江】将軍着府



◆6/24【江】慶喜、薩長処分の意見が容れられず3度めの後見職辞表提出
◆6/25【京】将軍譴責の勅諚 
◆6/26【江】将軍、攘夷期限委任奏請書を送る
◆6/1【長】米軍艦、長州に報復/【越】越前藩、挙藩上京を決定
◆6/3【京】将軍参、東帰・攘夷の勅を得る/
6/4【京】将軍直書をもって小笠原入京阻止
◆6/5【長】フランス軍艦、長州に報復
◆6/6【長】高杉、山口に赴き、来島又兵衛らと協議して奇兵隊創設/
◆6/9【京】将軍家茂退京&下坂。老中、守護職松平容保に残事務を委任。
◆6/11【江】所司代、淀藩主稲葉正邦に。
◆6/12【京】村田、薩摩藩高崎佐太郎・吉井幸輔に藩論を説明。同意を得るが時機を待つよう助言される 
◆6/13【京】村田、肥後藩沼田勘解由に長岡良之助の上京を促す/【坂】将軍大坂城を出て海路江戸へ。
◆6/17【京】容保・慶勝、相談し攘夷布告を促す建議。尊攘激派、翠紅館の集会(攘夷親征論の議定)
◆6/18【長】長州藩、小倉藩を侵攻/
◆6/21【京】慶勝帰国。京都における守護職の孤立
◆6/22【京】会津藩、幕府に非常時の全権等を要請。
◆6/25【京】容保に「東下&攘夷の叡慮伝達」の勅命(偽勅)
◆6/27【京】容保に東下を望まないとの宸翰(密勅)
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◆7/2(8.15)【京】老中、容保に慶喜の意見書・辞表を朝廷が許可せぬよう周旋依頼 

◆7/4【京】朝廷、慶喜の辞職を慰留

◆7/15【江】禁裏附小栗正寧、勅諚伝達
◆7/16【京】容保、慶喜上洛による攘夷委任の奏請を老中に建議
◆7/17【江】慶喜、後見職辞表を留める勅書への請書を認め、上京の上、委しく叡慮を伺い、御沙汰次第、捨身の微衷を尽くす決意を明らかにする
◆7/18【江】後見職慶喜の上京決定 
◆7/2(8.15)【鹿】薩英戦争【京】薩藩吉井幸輔・奈良原孝五郎、越藩村田に激派退治への協力を申し出 
◆7/4【京】近衛前関白、村田に攘夷親征は叡慮でないと語る/村田、上京見合わせを具申に福井へ出立 
◆7/5【越】岡部豊後・酒井十之丞・三岡八郎(由利公正)、藩論を説明し、上京を促すために熊本・鹿児島に向けて出立 
◆7/9【京】薩摩藩吉井幸輔・奈良原孝五郎、近衛忠房に面会し、大和行幸の延期を主張するが時機を待つよう言われる
 
◆7/10【越】村田、福井を出立/【京】近衛前関白・二条・徳大寺、吉井に暫く鎮静するよう改めて指示
◆7/12(8.25)【京】朝廷からの島津久光召命を伝えに、薩摩藩奈良原孝五郎ら、鹿児島へ出発/再入京の村田、吉井幸輔に久光入京前の朝廷改革決行を説く
◆7/13【京】村田、近衛前関白と面会。天皇は越前藩と同意見と伝えられる
◆7/17【京】久光召命に関する御前会議・召命中止
◆7/18【江】後見職慶喜の上京決定京】長州藩、鷹司関白に攘夷親征を建白/ 
◆7/19【京】関白、在京四侯らに攘夷親征を諮問/尊攘浪士、徳大寺家臣滋賀を暗殺
◆7/20【京】親兵の宮門警備開始/尊攘浪士による高台寺放火事件/近衛前関白・二条右大臣・徳大寺右大臣邸に脅迫状
◆7/21【江】所司代は守護職の指図に従うようにとの幕命/
◆7/23少将の福井出立・参府決定。越前藩政変。
◆7/24【京】因幡鳥取藩の建議により会津藩に天覧馬揃えの朝命
◆7/26【京】浪士、東本願寺用人を天誅
◆7/27【京】因幡藩の御所警衛開始。浪士、二条斉敬右大臣の「落胤」暗殺
◆7/30【京】雨中、会津藩の天覧馬揃え決行
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◆8/9【江】慶喜、横浜鎖港交渉開始を理由とする上京延引の上書を因幡藩主池田慶徳に託す
◆8/12【京】幕府、鎖港交渉開始を奏上
◆8/13【江】慶喜、攘夷実行(鎖港交渉開始)のため上京延期 
◆8/18(9.30)【京】禁門の政変(8.18の政変)







◆8/23【江】幕議横浜鎖港決定/慶喜、監察使(のち別勅使)東下内請

関連「開国開城」「大和行幸計画と「会薩−中川宮連合」による禁門(8.18)の政変
◆8/2【京】孝明天皇、会津に対し、深く頼もしく思う内旨を口達させる
◆8/5【京】会津・阿波・因幡・備前・米沢の五藩による天覧馬揃え/
◆8/9【京】中川宮に西国鎮撫使の命
◆8/12【京】幕府、鎖港交渉開始を奏上/壬生浪士、生糸商大和屋焼き討ち/因幡侯、親征反対の上書提出
◆8/13【京】「攘夷親征」の詔(偽勅)公布/会薩連合の発足/中川宮、西国鎮撫辞退【江】慶喜、攘夷実行(鎖港交渉開始)のため上京延期
◆8/14【京】天誅組(前国事寄人中山忠光ら)決起。京】久光、春嶽の決起を促す書簡に返書
◆8/15(9.27)【京】中川宮、参内謁見。偽勅を知り、関係者処分を請う。
◆8/16(9.28)【京】孝明天皇、中川宮に会津に処理させよとの密旨。
◆8/17【京】天誅組、五条代官殺害
◆8/18(【京】禁門の政変(8.18の政変)
◆8/23【京】因備両藩主の長州擁護の上書
◆8/25【京】薩・土、親兵解散を建議
◆8/26【京】在京諸大名の召集。「18日以降の勅が真」と伝宣
◆8/28【京】朝廷、紀州・津・彦根・郡山に天誅組追討令/久光に召命
◆8/29朝廷、長州藩主父子への沙汰伝達(長州退京の朝命
◆8/30【京】守護職に天誅組追討の達し/諸藩士・浪人取締の朝命/前尾張藩主徳川慶勝、勅召によって入京/大原三位蟄居を許される

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◆9/14【京】幕府横浜鎖港談判開始
◆9/27【京】容保、横浜鎖港談判開始に関する慶喜・老中の上奏書を奏上
◆9/29【江】老中、鎖港談判困難を容保に報せる
◆9/1【京】容保・攘夷別勅使に随行の命
◆9/5【京】親兵解散
◆9/8【京】攘夷派・因幡藩主池田慶徳帰国
◆9/12【鹿】島津久光、鹿児島出発
◆9/19四国公使、幕府との会見に応ぜず
◆9/21【土】土佐勤王党の武市半平太を投獄
◆9/21長州処分に関わる幕議
◆9/24【京】鷹司関白の差し控え御免
◆9/28【京】容保に対し、在京潜伏長州藩士取締の勅命
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◆10/7【京】後見職慶喜に上京の勅命・攘夷別勅使東下猶予の沙汰
◆10/10【京】将軍家茂に上京の勅命
◆10/17【江】将軍上洛辞退&後見職慶喜上洛の幕命
◆10/20【京】春嶽、慶喜に上京を促す書簡を認める
◆10/22【江】慶喜、上京前に暇乞の登城 
◆10/23【江】一橋家用人中根長十郎暗殺される/【京】春嶽、東下する勝海舟に慶喜&将軍上洛周旋を指示
◆10/26【江】慶喜、軍艦操練所から海路上洛
◆10/30【浦賀】勝、順動船を待ち受けていた慶喜に拝謁。京都の事情と春嶽・容保の言葉を伝える。
◆10/1【京】伝奏、容保に浪士取締の命を幕府親藩に伝えさせる(外様へは朝廷が直接布告)
◆10/3(11.13久光入京
◆10/6【京】諸藩に対し、公卿入説の藩士・浪士取締の朝命/紀州藩主徳川茂承入京/尾老公、攘夷別勅使東下中止の上書
◆10/7【京】後見職慶喜に上京の勅命・攘夷別勅使東下猶予の沙汰
◆10/10【京】将軍家茂に上京の勅命/前尾張藩主徳川慶勝(攘夷派)帰国/
◆10/11川越藩主松平直克政事総裁職に/生野の乱/【京】備前藩主池田茂久(攘夷派)帰国
◆10/12【京】諸藩に対し、攘夷は幕府の指揮を受け、軽挙暴発を戒めよとの勅命
◆10/18【京】春嶽入京
◆10/20【京】容保に対し、非常の際の事前許可なし参内認められる。
◆10/28(12.8)【京】孝明天皇、「8・18政変以来、意のままにならないので三条実美に伝えよ」「天下のことを三条実美に委任したい」と言ったという風説を否定する宸翰を中川宮(尹宮)へ
◆10/29【京】将軍上洛に関する再度の朝命 
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◆11/1【浦賀】慶喜、順動船に乗組む【京】薩摩藩小松帯刀、春嶽に慶喜上京を促す
◆11/2【坂】慶喜、着坂?春嶽、慶喜に書を遣わす
◆11/5【京】幕府、上洛の勅書奉承 
◆11/7【京】春嶽・容保、中川宮訪問。肥後藩長谷川仁右衛門、越前藩訪問。 長州&七卿処分に関する諸侯協議は慶喜着京を待つことに
◆11/12【兵】慶喜、兵庫着港
◆11/20【坂】上陸
◆11/21【坂】大坂城入城
◆11/26【京】慶喜入京/【江】永井、東下して将軍上洛を説く/幕議将軍上洛を決定


関連「開国開城」「政変後の京都−参与会議の誕生と公武合体体制の成立
◆11/1【京】容保、幕府目付戸川に但馬(生野)鎮撫を命ずる/薩摩藩、生麦賠償金七万両を支払う/
◆11/3【京】伊達宗城入京
◆11/4【京】伝奏より諸藩に浪士取締厳重の沙汰
◆11/5【京】幕府、将軍上洛の勅書奉承
◆11/6【京】浪士対策II(2)伝奏、浪士取締の回達書を諸藩に/所司代、浪士取締の方法を諸藩に示す/幕府、長州藩に潜伏藩士取締を命ず
◆11/10【江】幕府、衣服省略の命(文久2年の改革)を改める
◆11/11幕府、長州訊問の命を佐賀・彦根・小倉の三藩に下す 
◆11/12【京】孝明天皇、朝臣に妄説を信用せぬようにとの沙汰
◆11/15【京】久光、朝廷に永世不抜の基本を立てるよう建白/【江】江戸城火災
◆11/16【京】孝明天皇、島津久光に密勅21条を下す
◆11/26【江】永井、東下して将軍上洛を説く/幕議将軍上洛を決定
◆11/27【京】容保参内、将軍上洛を奏上/長州家老井原、伏見に到着し、入京嘆願を請願。 
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◆12/5(1.13)久光、賢諸侯を議奏にと提議。
◆12/6【京】慶喜、将軍上洛を促す上書
◆12/7【京】容保ら、慶喜とともに中川宮擁護の奏聞書
◆12/9【京】朝廷、慶喜に水戸藩士統率を委任
◆12/22【京】春嶽、慶喜に幕習から脱した「創業」を確認・二条城の諸侯集会決定
◆12/25(2.2)【京】二条城にて初の有力諸侯会議
◆12/27 将軍家茂江戸を出立/【京】慶喜・春嶽、将軍長期滞在の必要性を語る
◆12/30【京】慶喜・春嶽(越)・容保(会)・容堂(土)・宗城(宇)、朝廷参与に任命され

関連「開国開城」「政変後の京都−参与会議の誕生と公武合体体制の成立
◆12/6【京】朝廷、浪士処置を呈示
◆12/8【京】朝廷、浪士取締を厳達
◆12/16【京】勝海舟、土佐藩に坂本龍馬らの召喚延期を依頼
◆12/23【京】三条実美ら帰京主張の関白鷹司輔煕罷免。二条斉敬、新関白に(慶応3年1/9まで関白)
◆12/27 【江】将軍家茂江戸を出立
(2004/12/23)

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