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文久4年1月24日(1864年3月2日)
【京】松平春嶽、御用部屋入り/
【京】二条城会議(1)参豫諸侯(春嶽・宗城・容堂・久光)、
幕閣と時事を論じる。容堂激して退席。
【京】老中水野・有馬は春嶽・宗城の仲介で中川宮邸を訪問。
【江】横浜鎖港問題()英国特派全権公使オールコック横浜到着

★京都のお天気:晴昼過雪(久光の日記より)

【京】文久4年1月24日、松平春嶽に御用部屋入りが許されました

去る16日、幕府は春嶽に将軍の諮問に答えるための随時登城を命じていました(こちら)が、御用部屋への出入り(即ち幕議への直接的な参加)は許していませんでした。この日、幕府は登城した春嶽に対し、「御用の節は御用部屋へも罷出候様致さるべく候事」という沙汰を下し、春嶽は幕議に直接に参加できることになりました。

【京】同日、二条城蘇鉄間において、参豫諸侯の春嶽・宗城・容堂・久光が政事総裁職松平直克・老中水野忠精らと時事を論じました。(以後、「二条城会議」

このとき、容堂は直克らと激論になり、途中で席を立って退出してしまいました。宗城によれば、容堂は酒気を帯びており、「言尤激烈」だったそうです。また、久光は「土は暴言はきちらし先に退出、以ての外の儀」と憤慨しています。(容堂ったら・・・^^;)

<ヒロ>
二条城において、参豫諸侯が幕閣と時事を論じた会合はこれが初めてになります(二条城会議)。(*1)

去る21日に将軍に下された宸翰(内諭)中において、容保、春嶽、宗城、容堂、久光らは「頗る忠質純厚思慮宏遠」であり、「国家の枢機を任するに足る」人物であるので、「朕是を愛する事子の如し汝是を親み興に計れよ」という部分がありました(こちら)。翌22日には二条城に登城した春嶽・宗城・久光に対し、将軍は宸翰を見せて直接に協力を依頼しています(こちら)。また、(おそらく)それを受けて、宸翰の公表是非について、幕府は参豫諸侯に相談しています。この日の会議は、これに続く幕府側の宸翰に対する具体的アクションだととっていいと思います。

そのフィクサーは慶喜だったようです。実は、この日の宗城・久光の登城は前日に参豫として参内した際の慶喜の指示によるものでした。手持ちの史料からは明らかではありませんが、春嶽も慶喜との申し合わせがあって登城したと思っていいと思います。容堂(参豫辞退を申し出ており、参内はしていない)は、この日の朝、春嶽邸を訪ねており、春嶽と相談の上、春嶽に同行して登城しています。ちなみに、慶喜自身は「不快」を理由に登城はしませんでした。呼び掛け人の慶喜が欠席したことを、宗城は「甚不都合」としています。

さて、この日登城した参豫諸侯のうち、親藩・御家門である越前藩前藩主・前政事総裁職である春嶽だけが随時登城・御用部屋入りが許され、幕府の意思決定プロセスへの直接参加が可能です。外様である他の有力諸侯(宗城・容堂・久光)は、幕府に召還されたときにのみ登城し、しかも幕閣らと意見を交換する機会はあっても幕議に直接参加することはできません。 幕閣にとって天皇から将軍に直接下された命令は無視できません。しかし、旧来のやり方からすれば、外様を幕議に参加させることはもってのほかです。それでなくても、宸翰中に参豫諸侯の具体名があったことで、幕府の有司の中には彼らに対する疑念も生まれていました。それに幕閣は幕議にしか関れないのに、朝議参豫が幕議に参豫すれば、彼らは朝議も幕議も動かすことになります。政治的に幕閣より優位になってしまいます。そういうわけで、参豫諸侯との会議は二条城蘇鉄間における会議という折衷案になったのではないでしょうか?


【京】同日、老中水野忠精・有馬道純は朝議参豫の春嶽・宗城の仲介で中川宮邸を訪れました。

夕刻に退城した春嶽は、宗城、老中水野忠精・有馬道純とともに中川宮邸を訪ねました。以前から中川宮との仲介を両老中から依頼されていたためでした。中川宮は両名に対し、昨年の8月18日の政変の次第及びその件に関して中川宮が種々配慮したことを話し聞かせたそうです。二人は<関東においてはそこまでご配慮があったとは存じませんでしたが、ただいま仰せを承って初めて容易ならざる事であったことを知りました。ついては、今後はますます「奮発出精」いたします>と言上したそうです。宗城によればいろいろ話があった結果、「頗疑念ハ解候」だったようです。

参考:『続再夢紀事』ニp372-373、『伊達宗城在京日記』p319、『鹿児島県史料 玉里島津家史料ニ』p745(2010/1/10)
関連: ■開国開城「政変後の京都−参豫会議の誕生と公武合体体制の成立」「参豫の幕政参加・横浜鎖港・長州処分問題と参豫会議の崩壊」■テーマ別元治1「朝議参豫の動き」 

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