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文久3年2月30日(1863.4.17)
【京】春嶽辞任:将軍上洛後の総裁職辞任を決意 
【京】朝廷の内情:近衛前関白、急進派の牛耳る朝議を歎く
【京】浪士組東帰:浪士組、学習院に上書

■松平春嶽辞任
【京】文久3年2月30日、政事総裁職松平春嶽は、重臣に諮り、将軍上洛後に辞表を提出することを決めました。

春嶽は重臣を集めて進退の時宜を議論させました。結果、「到底事為すべからざる今日なれば速に藩屏の任を尽さるる外あるべからず」という意見をいれ、将軍上洛後、辞表を提出することを決めました。

参考:『続再夢紀事』一(2003.4.27)
関連:■開国開城:「将軍家茂入京-大政委任問題と公武合体策の完全蹉跌」 ■テーマ別文久3年:「政令帰一(大政委任か大政奉還か)問題」「春嶽の総裁職辞任」「生麦事件償金支払&第一次将軍東帰問題」■「春嶽/越前藩」「事件簿文久3年

■朝廷の内情
同日、越前藩士中根靭負(雪江)と村田氏寿が近衛邸に参上したところ、前関白は、急進派公卿が牛耳る朝議のありさまを打ち明け、慨嘆しました

近衛忠煕前関白の話は以下のとおり
近来、「中邊の輩」(=急進派公卿)がいよいよ勢力を「恣」にするようになった。幕府を差し置き、朝廷より直接発令する事などは、「畢竟中邊より強迫する為め止むを得す」そうなっているのだ。
何とかして、彼らの心を和らげ、その上で後見職・総裁職などは直接叡慮を伺うようにいたしたく希望しているが、未だその運びにいたらない。
先日発令した親兵の件を幕府が奉承されるのが、心を和らげる一策かと愚考したが、これは幕府の異議があり、かえって彼らの「心を激する事」となった。
当節は、外患を恐れるだけでなく、内憂もこのようで、実に当惑のほかない。

参考:『続再夢紀事』一(2003.4.27)

■浪士組東帰
【京】文久3年2月30日、浪士組は、学習院に対し、攘夷のための東帰を願う上書を提出しました。

「・・・・・・私ども儀、微賎ながら尽忠報国のため罷り出で候えば、かく外国御拒絶の期なり候上は、関東において何時戦争相始まり候も計り難く候間、速やかに東下、攘夷の御固めに御差し向け下さるべく・・・・・・」(『清河八郎』の引用部分より)

<ヒロ>
出典が不明ですし、全文を読んでもいないので本当はコメントも何もないのですが・・・。前日の集会を受けての上書になると思います。(引用部分はもしかすると『伊達宗城在京日記』に大意が記録されている「関東浪士存意書」(こちら)の一部になののかも???)。

関連:■清河/浪士組/新選組日誌文久3(@衛士館)
参考:『清河八郎』(小松山勝一郎著)(2003.4.27,2004.4.16)


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