5月の「今日」 幕末日誌文久3 テーマ別文久3 事件:開国:開城 HP内検索  HPトップ

前へ   次へ

文久3年4月6日(1863.5.23)
石清水行幸:長州藩、石清水行幸中止に反対
石清水行幸時の心得が発表される。
生麦賠償:)老中格小笠原、江戸到着

■石清水行幸
【京】文久3年4月6日、長州藩は関白鷹司輔熙に対して、石清水行幸中止反対を意見しました。

前日の4月5日に後見職一橋慶喜に行幸中止を諫言された鷹司関白(こちら)は、この日、長州藩世子毛利定広を召し出して行幸について熟慮するよう諭しました(石清水行幸は長州藩の建言によるもの)。しかし、長州藩は、<流言(中山忠光と長州浪人が鳳簾を奪い、将軍を殺害するために行幸を襲撃するという風説を指す)を信じて大義を中止すれば、朝威は立たず幕威も落ちるだけである。たとえその事が起こってもすぐさま天誅を加えるだけであり、見直しには及ばない>(口語訳ヒロ)と返答したため、行幸は中止にはなりませんでした。

関連:■開国開城「賀茂・石清水行幸と長州藩の攘夷戦争」■テーマ別文久3年:「賀茂・石清水行幸と攘夷親征

参考:『徳川慶喜公伝』(2002.5.25)

■生麦償金
【江】文久3年4月6日、老中格小笠原長行が江戸に到着しました。

小笠原は生麦事件償金及び横浜鎖港交渉のため、3月24日(25日説あり)に退京しましたこちら。翌25日には、将軍名代として水戸藩主徳川慶篤がやはり退京し、江戸に向いました(こちら)。慶篤の着府は小笠原に遅れること5日の4月11日になります。

参考:『徳川慶喜公伝』(2002.5.25)
関連:■開国開城:「幕府の生麦償金交付と老中格小笠原長行の率兵上京」■テーマ別文久3年:「生麦事件賠償問題と第1次将軍東帰問題

前へ   次へ


5月の幕末京都 幕末日誌文久3  テーマ別日誌 開国-開城 HP内検索  HPトップ