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文久2年5月2日(1862.5.30)
【江】長州藩、幕府に将軍上洛の建白書。

■将軍上洛問題
【江】文久2年5月2日、長州藩は幕府に将軍家茂上洛の建白書を提出しました。

航海遠略策を入説するために京都に赴いていた長井雅楽が、藩主上京の内旨を奉じて帰府したのは4月21日のことでした。

このころ、在江戸長州藩では、長井と対立していた周布政之助が返り咲き、桂小五郎も藩政に参画するなど、長井には不利な状況にありました。周布ら藩の重職は、藩主上京前にまず幕府に対して時局打開の方針を質し、それが天下を納得させるものでなければ、国事周旋は辞退すべきとの意見でまとまりました。幕府への質問事項は、(1)不敬を朝廷に陳謝するというが趣意は何か、(2)勅旨に明記される攘夷の方策はどうなのか、(3)万一のときは開戦の覚悟があるのか、等であり、従来、長州藩が藩論としてきた航海遠略策とは、かなり趣が異なったものとなっています。さらに、周布らは、人心を収めるには将軍が上洛し、諸藩とともに朝廷に参内して、天皇の意を奉じて国是を定めるべきだと主張しました。藩主敬親はこの意見に沿って、将軍上洛の建白書を老中久世広周に提出しました。

参考:『維新史』(2003.5.30)

関連:■テーマ別「長井雅楽」「将軍徳川家茂上洛問題」■開国開城「文1:長州の国政進出:航海遠略策」 「開国開城-文2:長州藩論一転・破約攘夷へ」開国開城-文2:薩摩の国政進出-島津久光の率兵上京と寺田屋事件」■長州藩日誌文久2 

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