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幕末長州藩年表(5)文久2年(1862)

文久1年(1861)← →文久3年(1863)

1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 閏8月 9月 10月 11月 12月
長州藩に関る主なできごと
(主要事件概略はこちら
その他の幕末の主なできごと

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◆1/3(2.1):【江】長井雅楽に京都行きの藩命。高杉晋作、中国行きのため江戸を出立して長崎へ。
◆1/14:【江】水戸藩平山平介、小五郎に決行を報せる書簡を認める
◆1/15:【江】坂下門外の変。遅参した水戸藩士川辺治左衛門、長州藩邸に桂を訪ね、自刃。
◆1/18:【江】幕府、と伊藤俊輔を訊問(19日説有)
◆1/21:【長】久坂、土佐勤王党武市に「尊藩も幣藩も滅亡しても大義なれば苦しからず」と認める
◆1/29:【江】萩の周布に逼塞20日の処分を命ず。

【関連:「長州藩の国政進出と航海遠略策(公武合体的開国論)」「開国開城-坂下門外の変」】





◆1/15:老中安藤信正、水戸脱藩浪士らに襲撃される(坂下門外の変

◆1/21(2.19):大久保利通、近衛忠房から勅命は出しにくいとの返答をもらう

関連:「開国開城-薩摩の国政進出-島津久光の率兵上京と寺田屋事件]
◆2/6:【江】幕府、桂を召喚。桂、病を理由に伊藤に行かせる。長井、老中に、桂は水戸藩士と親しいので、桂を水戸に派遣すべきと擁護。
◆2/15:【江】坂本龍馬ら萩着。
◆2/24:【江】長井雅楽、老中に航海遠略を詳述。幕府、長州藩に周旋を託す
◆2/7:真木和泉、島津久光随従を願って薩摩に。
◆2/11(3.12):将軍家茂、皇女和宮と結婚(★)
◆2/15(3.16):西郷隆盛、帰国。久光東上に反対/薩摩藩士柴山愛二郎・橋口壮介、清河に近々の久光の東上を報せる。

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◆3/3(4.1):【江】藩主敬親、長井に家禄減額150石を還付。
◆3/4(4.2):【江】長井、老中久世に田安中納言を上京させ、朝廷に陳謝させるべきと説く
◆3/10(4.8):【江】長井、藩命により京都での遠略説周旋のため、江戸を出立
◆3/11(4.9)【長】脱藩の吉村寅太郎、萩着。久坂が迎える
◆3/15(4.13):【江】藩主敬親、江戸城で老中久世広周と幕政改革をめぐって激論(「再」)
◆3/16(4.14):【長】周布、藩命により江戸に召還され、長州を出立
◆3/18(4.16):【京】長井、京都に到着/【江】幕府、桂・伊藤に譴責(←軽い処分)
◆3/19(4.17):【京】長井、正親町三条実愛と面談。
◆3/20(4.18):【京】長井、正親町に航海遠略説の建白書提出
◆3/21(4.19):【京】正親町、長井に建白書を内奏したところ、孝明天皇が非常に喜んだと伝える。
◆3/23:【長】兵庫警衛の先発隊、長州を出立(久坂・楢崎弥八郎・前原一誠ら)
◆3/26:【江】幕府に対し、世子定広の帰国許可を請う





◆3/10(4.7):薩摩藩国父島津久光、藩内に諭告。
◆3/13(4.11):西郷隆盛、薩摩を出発
◆3/14(4.12):久光、藩内に再度諭告。
◆3/15(4.13):幕府、出羽山形藩主水野和泉守(忠精)と備中松山藩主板倉周防守(勝静)を老中登用
◆3/16(4.4):久光、小松帯刀・中山中左衛門・大久保利通ら千余名を率兵して鹿児島出発。
◆3/23(4.21):吉田東洋、芸家世襲制度廃止
◆3/24(4.22):坂本龍馬・沢村惣之丞、土佐脱藩。
◆3/27(4.25):東洋、諸士階級制度改革発令。
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◆4/4(5.1):【京】長井、薩摩藩堀次郎と面談
◆4/8(5.4):【京】長井、薩人外浪士が自分を奸物と呼び、殺害しようとの風評があると書簡に認める
◆4/9(5.5):【京】宍戸九郎兵衛、諸士20名を率いて入京。
◆4/11(5.7):【京】久坂ら、長井の弾劾書を在京藩重臣に提出/周布、江戸到着し、藩政に参与。
◆◇4/13(5.9):【京】正親町三条実愛、長井に藩主敬親上京の内旨を伝える/【江】世子毛利定広、江戸出立
◆4/14(5.10):【京】雅楽、内旨を奉じて退京/【坂】竹内正兵衛、久坂の召還の動きに反対する意見書
◆4/17:【京】浦靱負、藩兵100余名を率いて伏見に。
◆4/19:【京】浦靱負、率兵入京。(21日説あり)
◆4/21(5.17):【京】雅楽、江戸到着し、藩主上京の内勅を伝える。4/22? 4/21=桂小五郎、機務参与
◆4/22(5.18):【京】寺田屋事件前日:浦靱負、藩士に暴発せぬよう訓示。
◆4/23(5.19):【京】久坂ら、寺田屋事件の報をきいて所司代襲撃を中止
◆4/28(5.24):【京】世子定広入京。
◆4/29(5.25):高杉、長崎を出航して上海へ
◆4/7(5.3):【京】孝明天皇、攘夷断行の勅旨
◆4/8(5.4):【京】平野國臣、久光に期待する「討幕三策」を朝廷に/土佐勤王党、吉田東洋を暗殺/
◆4/11(5.7):【江】幕府、安藤信正の老中罷免/
◆4/16(5.12):【京】久光非公式に入京・幕政改革を進言。久光に滞京・浪士鎮撫の勅命
◆4/17(5.13):【京】久光、入京。
◆4/20(5.16):【京】激派説得のために大久保利通下阪
◆4/23(5.19):【京】寺田屋事件【江】一橋慶喜の他人面会文書往復許される
◆4/25(5.21):【京】伝奏、久光に浮浪鎮撫の勅命(2度目)を伝達。/幕府、一橋慶喜・徳川慶勝・松平春嶽・松平容堂らの赦免を決定

関連:「開国開城-島津久光の率兵上京と寺田屋事件 
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◆5/1(5.29):【京】長州藩に浪士鎮撫&国事周旋の朝命。
◆5/2(5.30):【江】幕府に将軍上洛の建白書。
◆5/3:【江】桂に上京の藩命
◆5/5(6.2):【京】長井雅楽の謗詞事件
◆5/12:【江】桂、江戸を出立/【京】久保清太郎・楢崎弥八郎・尾寺新之?。長井雅楽弾劾に東下。
◆5/15(6.12):【江】長井、長州藩の国事周旋に春嶽の協力を請う
◆5/20:【江】長井雅楽、辞職。処分を待つ

◆5/22:【京】桂、入京。

◆5/28(6.25):【江】幕府、藩主敬親の上京を許可。/【京】清河八郎、浦靱負に薩長激励の上書。
◇5/29(6.26):【京】清河、桂の面会を求める
◆5/3(5.31):【江】会津藩主松平容保、幕政参与
◆5/7(6.4):【江】松平春嶽、幕政参与に。
◆5/8(6.5):】春嶽、国是の決定、開国創業の決意を将軍家茂に勧告
◆5/9(6.6):幕府使節、ロンドン覚書調印
◆5/11(6.8):【京】朝廷、勅諭案(三事策)を議定/
◆5/12(6.9):【京】久光に勅使随従の勅旨/
◆5/18(6.15):【江】蕃書調所を洋書調所に改称
◆5/20(6.17):【京】勅使大原重徳に、慶喜・春嶽登用の沙汰書が授けられる
◆5/22(6.19):【京】勅使大原と護衛の薩摩兵京都出立/【江】将軍、制度の簡素化と武備充実を達す
◆5/23(6.20):【江】前竜野藩主脇坂安宅老中に。
◆5/24(6.21):【江】勅意三事策、江戸に伝わる。
◆5/26(6.23):【江】幕議、将軍上洛を決定/老中内藤罷免
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◆6/5(7.1):【江】長井雅楽、帰郷謹慎を命ぜられる。
◆6/6(7.2):【江】藩主敬親、上京のために江戸出立/【京】桂、江戸の木島又兵衛に藩主上京反対の書簡を認める
◆6/18(7.14):【江】長井雅楽、謹慎のため帰国の途へ。
◆6/20:桂、中仙道中津川で藩主一行と合流。3日間協議。公武合体路線の破棄を決める。
◆6/28:【京】桂、着京。
◆6/30(7.26):長州藩激派久坂玄瑞ら帰国途中の長井雅楽要撃に失敗(7/1?)

関連:「開国開城」「長州藩論一転・破約攘夷へ
◆6/1(6.27):【江】幕府、将軍家茂の近日上洛による公武一和を布告/東禅寺襲撃事件/
◆6/2(6.28):【江】首席老中久世広周罷免。板倉、幕閣の中心に。
◆6/3(6.29):【江】幕府、勅使が天皇の意思でないと知る
◆6/10(7.6):【江】勅諚(1)勅使江戸城登城。一橋慶喜・松平春嶽登用の沙汰を伝える。
◆6/17(7.13):【江】久光の藩主就任否決の幕議
◆6/23(7.19):【京】関白、九条尚忠から近衛忠煕
◆6/28(7.24):土佐藩主山内豊範、2000名を率いて土佐出立。武市半平太ら随従。
◆6/29(7.25):【江】勅使大原、四度目の登城。老中、慶喜登用(後見職)に同意。
◆6/30(7.26):【江】所司代酒井忠義を罷免し、後任に大坂城代本庄宗秀

関連:「開国開城」「勅使大原重徳東下と文久2年の幕政改革
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◆7/2(7.28):【京】藩主敬親一行、入京
◆7/6(8.1):【京】長州藩、藩論を破約攘夷に転換
◆7/13(8.8):【京】藩主敬親、長井雅楽の建白書却下&国事周旋の勅許を請う
◆7/14(8.9):【京】桂、祐筆に。/高杉晋作、上海から長崎到着。独断で汽船購入を決める。
◆7/16(8.11):【京】藩主敬親、学習院に伺候。長州藩に謗詞事件氷解&国事周旋の沙汰
◆7/18(8.13):【江】小幡彦七、新所司代本庄就任に関する京都の不穏を伝える
◆7/20(8.15):【京】藩主敬親、三事策に関する疑義を陳述/
◆7/24(8.19):【京】藩主敬親、「天朝へ忠節」を重要視する諭達
◆7/27(8.22):【京】奉勅東下(1)長州藩主父子に滞京・東下周旋の朝命。

関連:「開国開城」「長州藩論一転・破約攘夷へ
◆7/1(7.27):【江】将軍、奉答。
◆7/6(8.1):【江】慶喜、一橋家再相続。将軍より、将軍後見職就任の直命/
◆7/9(8.4):【江】春嶽、政事総裁職就任/


◆7/18(8.13):【京】/越後浪士・本間精一郎、岩倉具視ら「四奸ニ嬪」排斥を主張
◆7/20(8.15):【江】将軍家茂、大赦を裁可/【京】/薩摩藩田中新兵衛、島田左近暗殺
◆7/23(8.18):【江】勅使11か条の要求を伝達。
◆7/26(8.21):【江】会津藩と越前藩の会盟
◆7/27(8.22):【江】幕府、京都守護職設置決定
◆7/28(8.23):【京】孝明天皇、岩倉・千種・富小路(公武合体派公卿)の近習を免ず。 

関連:「開国開城」「勅使大原重徳東下と文久2年の幕政改革
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◆8/2(8.26):【京】奉勅東下(2)世子定広に東下周旋&幕府に安政の大獄関係者赦免の沙汰/長州藩、6か条の質疑書/久坂玄瑞の「廻瀾條議
◆8/3(8.27):【京】奉勅東下(3)世子定広、奉勅東下の途に
◆8/16(9.9):【江】桂小五郎江戸着
◆8/18(9.11):【江】勅諚改竄(1)勅使大原、桂小五郎を呼び出し、改竄の勅諚を授けようとし、辞される。大原、改正の勅諚下賜を京都に請う(背景:薩長の対立
◆8/19(9.12):【江】勅諚改竄(2)世子定広江戸着。桂ら議して改竄の勅諚受領を決定。/
◆8/20(9.13):【江】勅諚改竄(3)長州藩、改竄の勅諚受領/
◆8/22(9.15):【江】勅諚改竄(4)世子定広、春嶽に勅諚の周旋を依頼
◆8/23(9.16):【京】高杉、藩主敬親に中国情勢報告。
◆8/24(9.17):【江】世子定広、登城して勅諚伝達。将軍家茂拝受

◆8/7(8.31):【江】幕府、朝廷に対して従来の失政を謝し、新政を行うことを奏する。
◆8/16(9.9):【江】前老中久世・安藤に隠居・急度慎の幕命。
8/18(9.11):【江】幕府、久光の叙任拒絶
◆8/20(9.13):【江】会津藩、守護職拝命を決める/【京】岩倉・千種・富小路(公武合体派公卿)の蟄居、辞官落飾
◆8/21(9.14):【江】島津久光一行、勅使に先立ち江戸を出立。生麦事件を起こす
◆8/27(9.20):【江】大目付岡部長常、小楠の幕政改革論(将軍上洛と失政の陳謝、参勤交代廃止等)に感服/【彦】長野主膳斬首
◆8/29(.9.22):【江】春嶽、幕府の「私」政を去れという意見書(総裁職辞表)を岡部長常に渡す
◆8/30(9.23):【江】容堂に国事周旋の沙汰
◆閏8/2(9.25):高杉に江戸詰・学習院用掛の藩命
◆閏8/5(9.28):【京】藩主敬親、幕府の上書非難の意見書を議奏に提出。
◆閏8/9(10.2):【京】伝奏、幕府に責問書/


◆閏8/13(10.6):長州藩桂小五郎、宍戸宛書簡で会津藩上洛の上は、京都をすべて統括する「全大所司代」となると記す。
◆閏8/14(10.7):【京】在京長州藩要路、近衛関白に攘夷に関する朝議の確定を迫る/






◆閏8/26(10.19):清河、水長盟約当事者・西丸帯刀と会う
◆閏8/27(10.20):【京】藩主敬親に破約攘夷の勅諚/高杉、江戸藩邸を脱して笠間へ。
◆閏8/28(10.21):【京】長土藩の連携決まる
◆閏8/1(9.24)【江】会津藩主松平容保、守護職拝命/老中板倉、小楠に感服。幕政改革断行を決意
◆閏8/7(9.30):【京】久光帰京
◆閏8/9(10.2):【京】久光、公武合体意見書を議伝両役に
◆閏8/11(10.4):【江】幕府、小楠の意見を容れ、来年2月の将軍上洛を内定(&将軍上洛問題背景)
◆閏8/14(10.7):【京】天皇の「公武一和の思召」が公卿・堂上に触れられる/【江】前京都所司代酒井忠義に隠居の幕命/宇都宮藩主戸田忠恕、山陵修補御用掛に
◆閏8/18(10.11):【江】勝海舟、軍艦奉行並に
◆閏8/20(10.13):【京】本間精一郎暗殺
◆閏8/21(10.14):【京】久光、破約攘夷は無謀、幕府の改革・武備充実が先、などの建白書を近衛関白に提出
◆閏8/22(10.15):【江】幕府、改革令を布告(参勤交代の緩和・大名妻子帰国許可等)→文久の幕政改革の本格化/【京】九条家諸太夫暗殺
◆閏8/23(10.16):【京】久光、京都出立して帰国
◆閏8/25(10.18):【京】前関白九条、落飾・重慎
◆閏8/29(10.22):【京】目明し文吉暗殺

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9/4(10.26):【江】世子定広、春嶽に三事を説く/反改革(2)桂、越前藩に横井小楠の他出中止を忠告
◆9/11(11.2):【江】周布、春嶽に反改革派の動きを忠告
◆9/14(11.5):【江】周布ら、越前藩に反改革派の動き・京都の攘夷確定等を告げる
◆9/15(11.6):【江】水戸藩大野謙輔、長州藩に武田観柳斎の応援を依頼p443
◆9/16(11.7):【京】薩長土有志、攘夷勅旨奏請決議
◆9/18(11.9):【京】薩長土藩主、朝廷に対して、幕府への攘夷勅諚下賜の建白。
◆9/20(11.11):【京】朝廷、攘夷勅諚の伝達のため三条実美を別勅使・姉小路公知を副使に任命
◆9/21(11.12):【江】周布・桂・中村九郎、横井小楠と初会談し、「疑因氷解」
◆9/22(11.13):【京】久坂・武市、慶喜の上京延期を密議
◆9/23(11.14):【江】周布・桂・小幡・佐久間佐兵衛、春嶽を訪れ、幕府の攘夷議決を迫る/
◆9/24(11.15):【江】水戸藩住谷寅之助、小幡彦七に藩主徳川慶篤上京の沙汰が出るよう朝廷に周旋することを依頼p443
◆9/26(11.17):【江】春嶽、長州藩への攘夷の沙汰を示すが、諸有司はなおも破約攘夷に異議/水戸藩住谷、内願書を浦靱負を通して世子定広に。春嶽に送ることを依頼。p443
◆9/28(11.19):【京】来月12日勅使東下の発表/【江】越前藩中根靱負、長州藩に水戸藩上京不可を報じるp443
◆9/30(11.21):【京】土佐藩有志、親兵設置建白を内決/【江】水戸藩有志の依頼により、長州藩、正親町三条実愛に慶篤上京の内願を送付p443

関連:「開国開城」「第2の勅使三条実美東下と攘夷奉勅&親兵問題
◆9/1(10.23):【京】「ニ嬪」堀河紀子辞職・隠居
◆9/4(10.26):【江】山内容堂に京都守衛の朝命
◆9/7(10.29):【江】幕府、明年2月の将軍家茂上洛を布告
◆9/8(.10.30):【京】中山忠光、武市半平太に「四奸ニ嬪」天誅の助力を依頼
◆9/10(11.1):【京】忠光、関白に岩倉具視らの追放を迫る
◆9/12(11.3):【京】岩倉らの屋敷に脅迫状


◆9/21(11.12):【京】武市ら、近衛忠煕関白留任勧告を密議/

◆9/23(11.14):【京】京都町奉行与力渡辺金三郎、同心森孫六・大河原重蔵暗殺。
◆9/25(11.16):京】朝廷、勅使東下の報を発す/朝廷、九条尚忠・岩倉具視らの洛中居住禁止

◆9/29(11.20):【江】大久保一翁、小楠の破約攘夷の説明に納得/容堂、慶喜の上京延期を勧告【京】新所司代、牧野忠恭入京
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◆10/1(11.22):【江】定広、慶喜の上京延期を勧告/【京】土佐藩・長州藩激派、親兵設置を協議
◆10/2(11.23):【京】薩摩藩激派、親兵設置提議に同意
◆10/4(11.25):【京】藩主敬親参内。天盃を賜う
◆10/5(11.26):【京】薩長土有志連署で親兵設置を建白
◆10/6(11.27):【江】桂、越前藩に側用取次大久保一翁の紹介を依頼
◆10/12(12.3):【京】別勅使、京都を出立
◆10/14(12.5):【江】周布政之助、越前藩に大久保忠寛(一翁)への面会仲介を依頼







◆10/25(12.16):【江】世子定広・側用取次大久保一翁、慶喜に登城を説得
◆10/28(12.19):【江】攘夷別勅使江戸着
◆10/1(11.22):幕議、慶喜の上洛&開国上奏を決定/容保に上京出発の暇(漏洩を怖れられた会津藩)/【京】近衛関白、上京を促す宸翰を久光に下す
◆10/5(11.26):【江】慶喜に上京中止の台命
◆10/8(11.29):【江】春嶽、慶喜に政権返上覚悟の開国上奏を迫る
◆10/11(12.2):【京】土佐藩主、別勅使に先立ち、藩兵500余名を率いて江戸に向って京都を出立
◆10/12(12.3):【京】別勅使、京都を出立/容保に滞府周旋の朝命
◆10/18(12.9):【江】容堂、攘夷を請けねば「攘将軍」になりかねないと攘夷を入説。幕議、奉勅に動く
◆10/19(12.10):【江】慶喜、春嶽に攘夷奉勅に同意と伝える(&開国論者容堂の本音)
◆10/20(12.11):【江】幕議、開国上奏から攘夷奉勅に一転・勅使優待内決/大久保一翁、春嶽に「大開国でなければ大政奉還」論(開国上奏し、朝廷が攘夷断行を命じたときは大政奉還・諸侯の列に下ること)を主張
◆10/22(12.13):【江】慶喜、「攘夷に定見なし」と後見職の辞表
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◆11/5(12.25):【江】周布、容堂を誹謗
◆11/12(1863.1.1):【江】薩摩藩高崎猪太郎(高崎五六)、山内容堂に長州藩士横浜襲撃計画を告げる
◆11/13(1.2):【江】高杉晋作・久坂玄瑞ら長州藩士11名、世子毛利定広の説得で横浜襲撃中止/蒲田梅屋敷事件(1)長州藩周布政之助、容堂を誹謗/
◆11/14(1.3):【江】土佐藩士、周布引渡しを求める
◆11/15(1.4):【長】長井雅楽の切腹を決定
◆11/23(1.12):【江】/桂小五郎、江戸到着
◆11/27(1.16):【江】攘夷奉勅(30)別勅使三条実美・姉小路公知の江戸城入城・攘夷の勅諚と親兵設置の沙汰を伝宣
◆11/28(1.17):【江】安政大獄刑死者6名(安島帯刀・橋本左内・吉田松陰ら)の墓碑建立が赦される
◆11/2(12.22):【江】幕府、攘夷奉勅を決議。
◆11/6(12.26):【江】幕府の軍制改革会議。
◆11/11(12.31):【江】老中板倉暗殺計画
◆11/12(1863.1.1):久光を守護職にとの朝命


◆11/25(1.14):【江】老中、容保と旗本精鋭の急西上と慶喜・将軍の率兵上京を上書/
◆11/26(1.15):【江】小楠、容堂に薩摩藩を含めた京都会議における国是決定論を説明。
◆11/28(1.17):【江】慶喜、春嶽に2万の大兵を率いての上京を示唆・春嶽、即答せず
◆11/29(1.18):【江】春嶽、幕薩連合による公武合体推進を建議し、老中・慶喜、同意
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◆12/1(1.20):【江】将軍、長州藩世子を称する/土佐藩主豊範、長州藩主養女と婚姻
◆12/4(1.23):【江】勅使、早々に攘夷・親兵設置を決定・布告し、攘夷の策略・期限を翌春までに言上するようとの沙汰を伝える
◆12/5(1.24):【江】幕府、攘夷を奉答・親兵設置は拒否
◆12/7(1.26):【江】勅使、親兵設置要求を貫徹せぬまま、江戸を出立。
◆12/8(1.27):【江】容堂、幕府に長州藩士による外国人襲撃を警告
◆12/9(1.28):【江】 世子定広、江戸を退去。
◆12/12(1.31):【江】高杉、久坂、井上聞多ら、御殿場英国公使館焼き討ち。久坂江戸を出立。中岡慎太郎に合流。
◆12/18(2.6):【水】久坂・中岡、水戸で住谷寅之助と面談。その後、佐久間象山を訪問?

◆12/26(2.14):【京】長州・土佐排斥運動(1)前宇和島藩主伊達宗城・因幡鳥取藩主池田慶徳・阿波徳島藩世子蜂須賀茂韶、近衛忠煕関白に在京諸侯退去と公武合体の国是決定を建白。
◆12/28(2.16):【京】長・土排斥運動(2)伊達宗城・池田慶徳ら、中山忠能・三条実美らに在京諸侯退去を主張/
◆12/1(1.20):【江】幕府、薩摩藩に久光の守護職任命に幕府は異議はないが、尾張・会津・長州の反対により、来春将軍上洛時まで発表を見合わせると伝える
◆12/3(1.22):【江】小楠、攘夷三策を建議/幕府、軍制改革(翌年1月中旬めどの「歩兵組」編制)
◆12/5(1.24):【江】幕府、水戸藩に勅諚(戊午の密勅)奉承を許す。
◆12/7(1.26):【江】将軍、容保に京都出発の暇を与える(&容保上洛の遅れの経緯)
◆12/8(1.27):【江】板倉老中、容保に翌春早々の将軍上洛・直接守衛を約束(全権委任との交換条件)/幕議、浪士組お抱えを決定/
◆12/13(1863.2.1):【江】幕府、攘夷を布告
◆12/19(2.7):【江】士道忘却事件(1)小楠、肥後勤王党の刺客に襲撃される。
◆12/22(2.10):【京】)薩摩藩大久保利通(一蔵)入京し、近衛関白・中川宮に久光の建白書を提出。
◆12/24(2.12):【京】容保、入京/
◆12/26(2.14):水戸藩主徳川慶篤、戊午の勅諚奉承を藩内に布告・処罰された藩士を赦免。
◆12/29(2.17):佐久間象山の蟄居が許される
◆12/30(2.18):幕府、清河八郎召しだし決定

関連:「幕府の公武合体派連合(幕薩連合)策」
最終更新:2004/5/23

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主な参考文献: (リンク先も参照してください)
『修訂防長回天史』、『木戸孝允』、『高杉晋作』、『山口県の歴史』
『徳川慶喜公伝』、『続再夢紀事』、『維新史』
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