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文久2年5月13日(1862.6.10)
【江】松平春嶽、老中の上京要請を断る
一橋慶喜の登用を主張。

■勅使東下-将軍上洛問題
【江】文久2年5月13日、幕政参与の松平春嶽は、老中久世広周の上京要請を断りました。

この日登城した春嶽は、久世と会見しました。久世は春嶽が将軍家茂に代わって上京することを再度促しました。<一昨日(京都から)帰参した祐筆の中村又兵衛の報告及び所司代からの書簡によると、幕府が(将軍の)上洛を断れば勅使を東下させるという内意があるが、これは所司代が打ち消して置くので20日頃までには是非出立するように・・・とのことです。上京の上は一橋公の後見職・越前公の大老などの注文があるだろうとのことですので、御上京くだされますよう>春嶽は再度固辞しました。

■慶喜の後見職就任問題
また、春嶽は、幕府による一橋慶喜の後見職任命を主張しましたが、老中久世広周は慶喜は「権謀智術」家であり幕府の為にならないと反対しました。


春嶽
なんとか(朝廷ではなく)幕府自身が後見職に任命することはできないのか
久世 一橋公は、人望がありますが、それは内々の様子を知らずに起る説であり、殊更に「権謀智術」を用いるお方なので大政へ参与すれば将軍家の御為にならないと幕府役人一統が考えています

春嶽
内々の様子がどうなのかは存ぜぬが、諸藩はもとより草莽の士にまで希望の御方である。この節、(慶喜に政治向きの)ご相談がなければ人心も落ち着かない。また京都から命令が下るのは幕府の不手際となり、その前に任命すべきではないか

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また、この日、春嶽は御用部屋の評議に参加しました。(前日、春嶽は容保を同席させてはいかがと提案していましたが(こちら)、「再夢紀事」や『七年史』を読む限りでは、この日もどうも同席していない模様です)

関連:■開国開城:「薩摩の国政進出-島津久光の率兵上京と寺田屋事件「文2:勅使大原重徳東下との幕政改革」■テーマ別文久2年:「将軍徳川家茂上洛問題」「一橋慶喜・松平春嶽の登用問題と勅使大原重徳東下」「幕政改革問題」■越前藩日誌文久2
参考:『再夢紀事・丁卯日記』(2003.6.8)

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