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☆京都のお天気: ■横浜鎖港問題&帥宮(有栖川宮熾仁) 【京】元治1年5月12日、国事御用掛に就任した帥宮(有栖川宮熾仁)は、禁裏守衛総督一橋慶喜側近・元水戸藩士原市之進に対し、朝廷には、参内停止中の中川宮の影響力が未だ浸透している状況を語りました。 5月13日付原市之進書簡によれば、この日の夕方、帥宮は次のように語ったそうです。
<ヒロ> 帥宮(そつのみや)は、5月9日、父の有栖川宮幟仁(たかひと)、鷹司輔政、九条道孝らとともに国事御用掛に任命されました。水戸藩と姻戚関係にある帥宮の任命は、禁裏守衛総督一橋慶喜の建議によるものでした。帥宮は、任命翌日の10日には参内して二条関白と議論するなど、積極的に動きました成果は得られませんでした。関白との議論、孝明天皇に内奏したという「大体之著眼」は、江戸から急報を受けて水戸藩が慶喜に入説した、鎖港成功までの将軍滞坂(=将軍帰府前の鎖港断行)でしょうか・・・?5月10日、朝廷は長州藩に勅使大坂派遣停止を通達しており、長州入京・七卿復職論の議奏正親町三条実愛が辞職を願い出ていますから、帥宮はこの件についても議論したのかもしれません。 関連:■テーマ別元治1 「横浜鎖港問題(元治1)」 「水戸藩/天狗・諸生争乱」 参考:『水戸藩史料』下p611(2012/4/7) ■尊攘急進派の伸張(by西郷隆盛) 【京】元治元年5月12日、薩摩藩士西郷吉之助(隆盛)は、在藩の大久保一蔵(利通)に対し、京都の情勢につき、形勢が悪化するばかりで、公家達は「例の驚怖」の病で「暴客」を恐れていること、近衛前関白父子に護衛を差し向けていること、長州・「暴客」が禁裏守衛総督・摂海防御指揮一橋慶喜の野心を疑っていること、「幕奸之隠策」により薩摩に悪評がたっていること、来月にも外国艦隊が長州を攻撃すれば長州・急進派の「暴威」も衰えるだろうこと等、報じました。 要点はこんな感じ。
参考:『忠義公史料』三p317-318 (2011/4/4) 関連:■テーマ別元治1年「池田屋事件〜禁門の変」 その他の動き ◆5/10【京】長州処分:朝廷、長州藩に勅使大坂派遣停止を通達。議奏正親町三条実愛、辞職を請う/【江】松平直克、帰府。幕府、京都守衛のために別手組200人を上京させる ◆5/11【坂】将軍、軍艦鯉魚門に搭乗して摂海の砲台巡視/中岡慎太郎、土佐の同志に書を送り、奮起を促す/容保、療養のため寺町から黒谷に移る。 ◆5/12【京】幕府、諸侯の京都発着は禁裏守衛総督・守護職・所司代・町奉行に稟申するよう命じる【天狗争乱】備前藩主池田茂政、朝廷・幕府に対し、常野屯集の水戸藩士らを攘夷の先鋒とさせることを建議し、慶喜に周旋を依頼する。/在府桑名藩士高野市郎左衛門、会津藩士らとともに在府老中板倉勝静に謁し、常野屯集の浪士と長州藩が結託していると告げ、将軍退京不可を入説。 (維新史料綱要五) *** 管理人より: 元治1年5月の「今日の幕末」は飛び飛びです。日々の動きを簡単に知りたい方は、こちら |
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