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文久3年5月3日(1863年6月18日)
【江】幕府の生麦事件償金支払い延期交渉
【江】尾張藩主徳川茂徳、江戸を出立

■生麦賠償問題
【江】文久3年5月3日、生麦事件の償金交付期日当日、幕府は神奈川奉行浅野氏祐(伊賀守)に、担当老中(格)小笠原長行の急病を理由とする償金支払延期の交渉を命じました。激怒した英国側は3日の猶予をもって戦争に入ると通告し、戦闘準備を始めました。浅野はこれを江戸に注進しました。

<ヒロ>
幕府は4月21日にいったん償金交付と決断していました(こちら)。それを翻して延期交渉を命じたのは、翌22日に攘夷実行を名目に京都を出立した慶喜(こちら)から破約攘夷及び償金拒絶の談判を命ずる書簡が届いたからでした。進退極まった小笠原は病を装ってとにかく延期をはかったのでした。(ところが、ややこしいことに実は慶喜は償金支払はやむをえぬと覚悟しており、在京中に鷹司関白・中川宮にも内諾を得ていたといいます(『昔夢会筆記』)。破約攘夷や償金拒絶を老中に指示したのは表面上のポーズにすぎなかったようです。

同日、償金支払いやむなしの事情を朝廷に報告するため、尾張藩主徳川茂徳が上京の途に着きました

<ヒロ>
茂徳は前尾張藩主徳川慶勝の弟です。二人は美濃高須藩から尾張藩に養子に入っており、同じく高須藩から会津藩に養子に入った京都守護職松平容保の兄にあたります。

関連:■開国開城:「幕府の生麦償金交付と老中格小笠原長行の率兵上京」■テーマ別文久3年:「生麦事件賠償問題と第1次将軍東帰問題」「第2次将軍東帰問題と小笠原長行の率兵上京
<参考>『徳川慶喜公伝2』・『昔夢会筆記』・『小笠原壱岐守長行』(2000.6.18,2004.6.21

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