7月の「今日」  幕末日誌文久3 テーマ別文久3  HP内検索  HPトップ

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文久3年6月7日(1863年7月22日)
【京】長州藩主父子どちらか1名に上京の沙汰/
小笠原長行の率兵上京を警戒する密勅
【長】高杉、奇兵隊趣旨を藩主敬親に上申

■小笠原率兵上京
【京】文久3年6月7日、朝廷は小笠原長行の率兵上京問題に関連して親兵隊長に変事に備えるようにとの内命を下しました

「上京之子細不容易情態之旨趣相聞、何様之儀モ難計候間、其心得可有之」(『維新史』引用の村井政礼手記より孫引き)

参考:『維新史』三(2004.7.24)
関連:■開国開城:「幕府の生麦償金交付と老中格小笠原長行の率兵上京」  ■テーマ別文久3年:「第2次将軍東帰問題と小笠原長行の率兵上京

■長州藩の上京
【京】文久3年6月7日、朝廷は、長州藩主父子どちらかに上京せよとの沙汰を下しました。

「過日父子之内申合、急々上京可有之被仰付候処、追日切迫之時勢深被悩宸襟候。自国防衛海防於指揮も可為緊要候へども、方今情態不容易候間、急速上京可有之再応御沙汰事」

さらに、別途、糊封された内沙汰(小笠原長行の率兵上京により何が起こるかわからないのでそのように心得るようにという内容)が下され、即夜、久坂玄瑞がこれを携えて国許に向かいました。

「小笠原図書頭上京之子細不容易情態之旨趣と相聞候。何様之儀も難計候間、其心得可有之内々の御沙汰之事」

参考:『修訂防長回天史』三下(2004.7.25)
関連:文久2.6.2(7.17):【京】長州藩主父子に召命の沙汰

■奇兵隊
【長】同日、長州藩の高杉晋作は、奇兵隊趣旨を藩主毛利敬親に上申しました

「赤間関一昨日五日の変に付き、私儀御前夜召しだされ防禦方御委任仰付けらるる段、御直に仰せ聞かされ其の旨得奉り候。馬関到着仕り候処、有志の者日増し相集まり候模様之有り候間、不日に奇兵隊相調え、吃と防禦の手段仕るべく存じ奉り候。夫に付き、廉々左の存付きに仰付けられたく願い奉り候。
一、奇兵隊の儀は有志の者相集め候儀に付き、藩士・陪臣・軽率選ばず、同様に相交り、当分力量を蓄ひ堅固の隊相調え然るべくと存じ奉り候」(東行先生遺文)

参考:『維新史』三(2004.7.22)
関連:■開国開城:「賀茂・石清水行幸と長州藩の攘夷戦争」■テーマ別文久3年:「長州藩の攘夷戦争

朝廷、列藩に戮力一致攘夷の叡慮貫徹を必するよう命じる(『綱要』四)

実は孝明天皇は破約攘夷(鎖港)には熱心でしたが、無謀な攘夷を嫌っており、「叡慮」かというと微妙なところです。

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