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文久2年8月23日(1862.9.16)
【江】生麦事件:英国、犯人逮捕を要求/幕府と春嶽の対立

■生麦事件
【江】文久2年8月23日、英国代理公使ニールは幕府に対して犯人逮捕を要求しました。

前日に神奈川に派遣された外国奉行の一色直温・津田正路は英国代理大使ニールと会見し、事件の措置に関する交渉の開始を求めました。しかし、ニールは交渉には応ぜず、老中あてに抗議書を送り、犯人逮捕等を要求しました。(賠償金については、本国政府からの訓令待ち)

参考:『徳川慶喜公伝』・『維新史』(2003.9.29)
関連:■開国開城「生麦事件」 ■テーマ別文久2年:「生麦事件」■薩摩藩日誌文久2 

■生麦事件&幕政改革(春嶽、登城スト)
【江】文久2年8月23日、生麦事件措置に関する意見が幕閣に受け入れられず、失望した松平春嶽は登城(すなわち幕議への参加)をやめることにしました。

春嶽は、前夜、政治顧問の横井小楠らとともにまとめた生麦事件の措置案(以下参照)を幕議に諮りました。
  1. 久光を引き留め下手人を差し出すよう命じる(久光が帰国してからでは外国が何をいってきても対処できないので)
  2. 老中・若年寄が神奈川に向かい、英国側の状況を公平に聞き取り、調べる
  3. 老中のうち一人が帰京する勅使大原重徳に随従して上京し、薩摩藩の「暴行の次第」を言上し、不在の所司代に代って滞京し、英国が大阪湾に廻って襲撃する可能性もあるので、朝意を聞いたうえで、京都警衛にの指揮につく。
久光の件に関しては引き留めても留まらなければどうするのか、下手人を出せといっても出さなかったらどうするのかという反応ばかりで、「条理の談判」にはなりませんでした。また老中上京の件については「馬耳東風」で誰も返事をしませんでした。そのうちに英国からの抗議書が届き、それが意外に「激切」でなく「平穏」なものだったので、幕議はたちまち「倫案論」に陥ってしまい、なんともしようがなかったそうです。

帰邸した春嶽はこれだけの大事件が起ってさえ、このように優柔不断な有様なので、とうてい持論(幕政改革)は実行されそうもないと、明日からは登城しないことを決めました。

参考:「再夢紀事」(2003.9.29)
関連:■開国開城「勅使大原重徳東下と文久2年の幕政改革「生麦事件」 ■テーマ別文久2年:「幕政改革問題」「横井小楠」■越前藩日誌文久2 


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