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文久2年8月30日(1862.9.23)
【江】生麦事件:英国側、老中板倉邸で犯人引渡しを要求/
徳川慶勝を大納言に推任し、山内容堂に国事周旋するようにとの沙汰

■生麦事件
【江】文久2年8月30日、生麦事件に関して、老中板倉勝静邸で英国側との交渉が行われました。

幕府側は老中板倉・水野忠積ら、英国側は代理公使ニール・キューバー提督らが出席しました。英国側は前日、軍艦三隻を率いて品川に入港していました。

英国側は従前の要求である生麦事件の犯人を差し出しを繰り返しました。日本側はもちろんその心得だと回答しました。もっとも、薩摩藩への犯人引渡し要求については幕府は消極的でしたから(このことが春嶽の登城拒否の一因にもなっていた)、この回答にどこまでの本気であったのかは疑問です。

松平春嶽は生麦事件処理をめぐって幕府に失望して(こちら)24日から登城停止中でしたが、板倉邸に来ていました。実は、前夜、老中水野から出席するよう要請されたのを、「引篭」を理由に断っていましが、この日の朝、大目付の岡部長常が重ねて「今日の応接相手を庇護すれは万国に敵を生し又相手を責護すれは内地に変を起すへき」重大事であるので押して来邸して欲しいと要請したため、板倉邸に赴いたのでした。しかし、春嶽は交渉の場には出ず、襖を隔てて傍聴しただけだったそうです。

参考:『続再夢紀事』 一(2003.10.1)
関連:■開国開城「勅使大原重徳東下と文久2年の幕政改革「生麦事件」 ■テーマ別文久2年「幕政改革問題」「生麦事件」■越前藩日誌文久2 

文久2年8月30日、徳川慶勝(前尾張藩主)を大納言に推任し、山内容堂(前土佐藩主)は「皇国の為尽力」するようにとの沙汰が武家伝奏より届きました。


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