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御陵衛士年表(A)前史(4)新選組加盟
治2/慶応元年(1865年)

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8 道頓堀ぜんざい屋事件、谷万太郎の弟子高野十郎として潜伏中の阿部十郎、万太郎らとともに土佐浪士捕縛に出向く。 1.4(1.31)−慶喜参内。天狗党鎮撫を賞される。将軍上洛の勅書。
1.11(2.6)-新選組、天誅予告状を張り出す
1.15(2.10)-幕府、長州処分の江戸での決定&将軍進発延期を布令。慶勝、寛典と諸侯会議の開催を進言。五卿、筑前藩へ 1.18(2.13)-田沼、入京
1.19(2.14)-慶喜、田沼への引渡しを奏上
1.26(2.21)-新選組、六角源氏捕縛
1.25(2.20)-幕府、参勤交替の復活を布告
1.28(2.22)-慶勝、慶喜に長州処分のため諸侯召集を求める。容保、慶喜に招集猶予を求める。
1.30(2.25)−容保、東下願いを朝廷に提出。加賀藩、田沼に天狗党引渡し。
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23 山南敬介の切腹。伊東甲子太郎は永倉新は八とともに脱走を勧めるが謝絶されるともいう(『新撰組顛末記』)。
元治2年2月22日-新選組副長山南、一説に脱走

元治2年2月23日-新選組副長山南切腹。
2.1(2.26)-将軍上洛を促すための容保の東下願いが許可される
2.4(3.1)-容保東下をやめるべきとの内旨。 -天狗党武田ら斬殺が始まる
2.5(3.2)-老中本庄宗秀・阿部正外の率兵上洛(慶喜・容保の江戸ひきあげ&幕兵による京都守護と朝廷牽制)
2.13(3.12)−容保に御符を下賜。幕府、総督・守護職の月1万両賜金を停止
2.19(3.16)-朝廷、幕兵の御所内外の徘徊を禁止
2.22(3.19)-老中、朝命で参内。慶喜召還を叱責。将軍上洛の勅書。
2.23(3.20)-五卿、大宰府へ。容保の東下停止の勅命。
2.24(3.21)-阿部、帰府。本庄、下坂
2.28(3.25)-西本願寺、新選組に寺の使用を許す
伊東、山南の弔歌を詠む(「残し置く言の葉草」)。→<伊東の事件簿
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伊東(役職は目付)、土方・斎藤(目付)とともに東下→<伊東の事件簿 3.1(3.26)-容保、病につき黒谷に本陣移転。土方、屯所西本願寺移転を知らせる書簡
3.26(4.21)−祇園で火事
3.29(4.24)-老中、会藩への疑問氷解
4 5 土方・伊東・斉藤、隊士募集の東下・江戸着。 4.2(4.26)−容保、将軍上洛要請のため公用人外島を東下させる。
4.6(4.30)−井深帰京。老中の反省を伝える
4.8(5.2) 容保病状回復・参内。井深を東下させ、将軍上洛を促す。
4.18(5.12)−征長宣戦の令
4.22(5.16)−公用人外島帰京。老中の返答。
4.27(5.21)−大阪で新選組の悪評
4.28(5.22)−朝議で警衛のため諸藩召集説起こるが一会桑の反対でやむ。
4.30(5.24)−越前春嶽征長反対の建白。
27 伊東・藤堂・斎藤・土方、新入隊士52名と江戸出発
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9 上記一行、草津宿に宿泊(草津宿大福張) 5.6(5.30)−幕府目付由比図書・会津藩公用人外島、江戸老中と将軍上洛について面談。入朝問題に容保の尽力を乞われる。
5.16(6.9)−会津藩への手当て支給開始、将軍征長に江戸進発
5.18(6.11)−桑名候、老中同様に御用向き取り扱うよう幕命
5.25(6.18)−新選組、藤井藍田捕縛
5.28(6.21)−容保下坂
10 *京都到着?
11 篠原泰之進、伊東らに合流(「秦林親日記」)

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14 佐野ら膳所に出張。膳所事件の河瀬太宰宅を捜索中に妻・幸が自刃をはかる。(「新撰組始末記(壬生浪士始末記)」) 閏5.16−尾張徳川慶勝、将軍に先発
閏5.22−家茂、入京参内。一会桑に頼るよう、長州処分を清算するようにとの勅愉。また戸田越前守、戸田大和守に優賞の内意
閏5.23−防長の評議。会、防長評議に参加を求められる。容保・定敬、将軍に慰労される。将軍、慶喜を忌む発言があり、容保これをいさめる。
閏5.24−将軍二条城出発
閏5.25−大坂城へ
閏5.28−容保下坂
? 伊東、上記膳所事件に関連して新選組に捕縛された志士・井上謙三を放免させるという(「新撰組始末記(壬生浪士始末記)」)。→<伊東の事件簿
? 中西登、小路平三郎とともに、脱走隊士石津茂一郎を捕縛。 6.15−容保帰京
6.17−一会桑、老中阿部、参内して長州支藩召喚を奏請・勅許される。
6.23−幕府、毛利淡路・吉川監物に上坂命。
6.29−容保下坂
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16 大阪出張中の三木(目付)、天満宮総代に会ってその丁重さに感心される。(「滋岡家目録」『高台寺党の人びと』)

18 脱走隊士・植田末次らが名古屋で朝名を騙って金策するとの通報があり、伊東・東海道探索。(島田・中仙道)→<伊東の事件簿
伊東・富山・篠原・茨木・久米部、大和に浪士捕縛に出張→<伊東の事件簿
新選組慶応元年夏の編成。一説に伊東=参謀&筆頭文学師範、三木=九番隊組長、篠原=監察&筆頭柔術師範、新井=監察&剣術師範、服部=監察、毛内=文学師範、清原=筆頭砲術師範、阿部=砲術師範(「新撰組始末記(壬生浪士始末記)」) 8.1−容保帰京。加俸の命。
8.4−薩摩藩大久保、征長は会津のアイデア等会津批判
8.8−新選組武田観流斎、薩摩藩士を補殺
8.18−幕府、広島藩に再度召喚を命ず
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新選組、第二次『行軍録』作成。伊東らの名も。ただし、新選組が征長軍に加わる可能性はなく、これもまた机上プラン。 9.1−京都下立売に守護職邸完成。
9.4−小笠原長行、老中格に任命
9.15−将軍上京
9.16−4国艦隊、兵庫沖来泊
9.21−将軍参内。朝議で防長の幕府委任(将軍進発)
9.22−長州再征の勅許

9.23−幕府、四国代表と会談
9.25−大阪幕府(老中阿部正外・松前崇弘)、兵庫開港を独断決定
9.26−慶喜、大阪城到着。阿部・松永と激論・家茂落涙。
9.27−春嶽、征長の不可を論ずる
9.28−公用方広沢帰京
9.29−慶喜、容保・定敬と関白に面談して下坂の暇を乞うが、容保には許可下りず。朝議により、阿部・松前の改易・謹慎命令
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22 伊東、武田観柳斎・沖田総司とともに肥後藩京都留守居役上田久兵衛訪問。(水滸伝の盧俊義について談話したもよう)(「上田久兵衛の日記」『幕末京都の政局と朝廷』) 10.1−幕府、両老中罷免&謹慎令。10.2−条約勅許&兵庫開港の秦請と将軍職辞表を提出(関白二条斉敬)、容保、伏見に尾張藩徳川茂徳に入朝・奏請の理由を尋ねる。
10.2−老中小笠原、容保に開港勅許・将軍職譲位の奏請内容を明かす。
10.3−家茂、大阪を発って陸路江戸へ。
10.4−家茂、伏見到着。慶喜の説得。二条城へ。
10.5−慶喜、条約勅許を獲得
10.7−岩倉、一会批判
10.10−小笠原、老中に再任。
10.12−会津、外島を通して薩との関係修復はかるも大久保拒否
10.13−西郷、幕府の因循を批判
10.22−老中に板倉勝静再任
10.25−西郷・小松、率兵入京
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伊東・篠原、長州奇兵隊元総督赤根武人、及び久留米志士渕上郁太郎の赦免に尽力。(時期不明だが、伊東は長州藩遊撃隊来島又兵衛家臣石津茂一郎の赦免にも尽力という)「壬」「秦」

<ヒロ>
伊東は、のちの建白書からも察せられるように、第2次征長には反対だったようである。その理由は、ここで内乱になれば諸外国につけこまれる・・・というものだ。伊東は、幕府と長州の融和を考えていたのだと思う。それでこその、赤根の赦免だったわけだ。
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2 渕上、赤根、「貴公等は報国の士である、天下非常の際だから、粉骨砕身公武の融和と長州問題の善処について周旋するように」と釈放される。目付外川鉾三郎の旅宿に案内され、戸川と会談。夜、戸川と下坂。(渕上書簡) 11.3−将軍下坂
11.4(12.21)−幕府、長州再征の諸藩部署決定。長州訊問使京都出立。膳所十一士処分。
11.20(1.6)−訊問使、国泰寺で長州使者宍戸備後介を訊問
11.25−長州副使木梨彦右衛門広島到着
11.30−永井、再び訊問
4 近藤・伊東・新井・服部・武田・山崎・吉村・芦屋・尾形、長州訊問使・大目付永井尚志に随行して京都出立 →<伊東の事件簿

幕府は第2次征長の勅許を得たが、それはすぐに開戦というものではなく、まず、処分案を決めよという内容だった。そのために、大目付永井尚志が広島に出張し、長州に訊問をして、その結果によって処分を決めることになった。
5 大目付永井、目付戸川、目付松野孫八らと大阪出立。(渕上・赤根も大坂出立)
16 広島到着(渕上・赤根も)。
20 近藤らの入国、拒絶される
22 (*渕上・赤根、長州へ潜入。)
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2 (*渕上、永井に復命。「今後は自由にしてよい」といわれる。) 12.16(2.1)−訊問使、広島出立。
12.17(2.2)−老中小笠原、越前藩中根に薩摩の上京は対会津と不和について語る。千種、岩倉宛に中川宮の勢力を嘆く。
14 近藤・伊東・武田、岩国をめざして広島出立。
15 岩国で長州入を交渉
16 断念して岩国出立
17 広島出立
22 京都帰着。会津藩に報告。近藤(伊東)、長州寛典を説く。
2001・11・09 、2002.4.26、2003.1.10更新

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文政11-万延1 文久1−3 元治1 慶応1 慶応2 慶応3-1 慶応3-2 慶応4
<主な参考文献>
『史談会速記録』・『回天実記』・『幕末京都の政局と朝廷』
『高台寺党の人びと』・『共同研究新選組』・『幕末史研究』・・『新選組覚書』
『新選組史料集コンパクト版』・『新選組日誌上』(新人物往来社)収録の上記史料

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