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御陵衛士年表【A】前史(5)九州遊説・新選組分離へ
慶応3年1〜3月

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1月 1 伊東・永倉・斎藤ら隊規違反で島原に流連?(疑問あり)
1.2-泉湧寺に御陵を設営する布達
1.9-明治天皇即位
1.12−中川宮、辞表再提出
1.15−征長軍解兵決議。慶喜、朝廷への征長解兵奏請使者として容保・定敬を任命
1.17-容保、評議の上、断る。
1.22-西郷、四藩会議の実現のため、藩主父子らの上京を促すために京都出立
1.26-中川宮、国事掛の再辞表
1.29−孝明天皇を泉涌寺の御陵へ埋葬
4 近藤の使いにともなわれて帰営。伊東、謹慎という。
18 伊東・新井・三木ら島原木津屋で酒宴の後、伏見寺田屋へ。寺田某と合流その後、九州に向かうため、舟で淀川を下る。大宰府等の尊王派に新選組分離の理解を求めるためである。ただし、表向きは九州の情勢探索という公務のはず。(以下、特に断りのない限り「九州行道中記」)
19 朝、大阪の京屋へ。三樹と別れて伊東・新井、兵庫へ。湊川に寄って兵庫泊。やはり九州に向う大目付永井尚志を訪ねて雑談する
20 幕府御用船神速丸に乗り込み、出航。(永井の出張に便乗?
22 伊東・新井・寺田、佐賀関港到着。小船で鶴崎に向かうが引き潮。途中から陸路鶴崎へ。夜、永井が鶴崎に。
23 伊東・新井・寺田、鶴崎から肥後路に向かう(永井は日田へ)。宇津原で昼食。今市に宿泊。黒峠という難所を越える
27 伊東(・新井・寺田)、昼に南関。伊東、慶応2年長州征伐における小倉・長州の闘いで肥後に避難した老少婦人の窮状を見て落涙。三池の尊王家清水(塚本源吾:渕上郁太郎の友人)宅に宿泊。
28 阿部、下川、渕上(郁太郎)が来会。
*阿部=渕上潜伏先の三池加納村の阿部後哲、下川=渕上の妻政子の弟、久留米勤王党の下川根三郎と推測される。
29 伊東、清水と大宰府へ。新井は肥後人応接、寺田は西肥後周旋の予定。
2 2 伊東、久留米を経て大宰府到着。天神参詣。梅林をみて和歌を2首詠む。真木外記・水野渓雲斉等と面会。薩摩の吉田清左衛門宅に宿泊。 2.1‐西郷、鹿児島到着。その後、藩主父子の上京を説得。次に四国に赴き、容堂・宗城にも上京を入説。

2.6−2.7 慶喜、仏公使ロッシュと会見。ロッシュ、六局構想(内閣制)を説く。また、郡県制を説いたとも。


2.11−容保、守護職辞任を書面提出

2.13- 中川宮再出仕

2.14-会津藩、余九麿を京都に留め、容保の辞職東帰させることを願い出る

2.17−会津藩家老田中土佐、老中を訪問して免職を請う

2.24−倉沢、外島、老中訪問。辞職東帰を請う



















2.27‐西郷、容堂・宗城への上京遊説から帰国(鹿児島到着)。








2.30-旗本の永井尚志、大目付兼外国奉行から若年寄格に。(幕政改革の一環)
3 清水、真木に面会。永井(尚志)の話をしたところ、大いに嫌疑を受けて恐怖して帰る。伊東、真木を再度訪問し、実を吐露するが、謀殺の気配を感じる。伊東、長州から来た使節とも応接。
4 伊東、真木・水野らと再度面会。新選組とは異論があって分離すると説き、嫌疑を解く。再会を約して分かれる。長州から来た使節とも応接。
5 伊東、大宰府出立。
6 伊東、三池でニ子(新井・寺田?)と合流。渕上が(幕府の間者ではないかとの)嫌疑を受けて肥後での周旋成立せず。
7 伊東、周旋に尽力するが成らず。
8 同上。
<ヒロ>肥後での周旋にかなり時間を費やしている。伊東の大政に関する建白からみれば、もしや、横井小楠に会いたかったのでは?
9 伊東・(新井・寺田)、夜に肥後領ついたてに行く。間道が山道にあり、ひどく難渋する。伊東、寺田の言行不一致に愛想をつかして和歌を2首詠む。
*17日にニ子(2名)が伊東と分かれて出立、という記述から、新井・寺田も伊東に同行して日田に向ったと推測。
10 伊東・(新井・寺田)、農家泊。
11 同上。
12 同上。伊東、思うことあって和歌を3首詠む。
13 伊東・(新井・寺田)、添田に着く。小倉の人と面談。
15 伊東、英彦山に登って一首詠む。
16 伊東・(新井・寺田)、日田で大いに嫌疑を受ける。伊東、悔しい心情を和歌に詠む。
17 二子(新井・寺田)、出立。伊東は日田郡代窪田治朗に面会。嫌疑を受ける。
新井、大宰府の真木に約束の護送解兵書を持参。7ツ半に7ツ半に出発して崎陽(長崎)に向う予定(真木外記の日記「日知録」。ただし、20日の日記に、17日のこととして書かれている。市居氏は毎日、日記をつけている土方の記録の方が正確であると判断されている)
18 伊東、嫌疑を受けて日田に足止め。
(*渕上、柳川藩山中で何者かに暗殺される)。
19 伊東、同上。
20 伊東、同上。代官内海多次郎が帰り、嫌疑が氷解して出立できることに。
新井、大宰府の水野渓雲斎を再訪。水野に二通の書簡を渡し、用はないかと尋ねるが、「差当り何もないが京阪のことはよろしく頼む」と答えると、すぐに帰った(土方久元の日記「回天実記」)
21 伊東、日田を出立。
22 伊東、佐賀着。新井に合流。友との再会に感激して一首詠む。
23 伊東・新井塚崎泊。温泉に入る。新井、病が篤い。
24 伊東(・新井)、大村宿。
25 伊東(・新井)、崎陽(長崎)。以後、長崎には8泊と長期滞在。*のちの伊東の建白に引用されるフルベッキの話をきいたのもこのときか?
26 伊東(・新井?)、鎮台能瀬大隈守訪問。(新井?)、医師郡斎の診察を受ける。能勢は長崎奉行。
29 伊東(・新井?)大隈守より300両受け取る。なぜ長崎奉行から?(探求中)
3月 3 新井、両鎮台を訪問。=*両奉行、すなわち能勢と徳永石見守昌新?
4 伊東(・新井)、京へ向けて長崎出立。昼夜急ぐ。
2001・11・09 、2002.4.26、2003.1.10更新

【A】前史(生い立ち・同志集結・新選組時代) 【B】衛士時代 【C】赤報隊
文政11-万延1 文久1−3 元治1 慶応1 慶応2 慶応3-1 慶応3-2 慶応4

<主な参考文献>
『史談会速記録』・『回天実記』・『幕末京都の政局と朝廷』
『高台寺党の人びと』・『共同研究新選組』・『幕末史研究』・・『新選組覚書』
『新選組史料集コンパクト版』・『新選組日誌上』(新人物往来社)収録の上記史料

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