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残し置く言の葉草「新選組覚書(小野圭次郎)」版(3)春、真心等

これまで「新選組覚書」収録の小野圭次郎編「残し置く言の葉草」をもとにこのコーナーを作成していましたが、鈴木家蔵の原本と比較するとかなり違うことがわかりました。原本の素人判読版はこちら。参考までに「覚書(小野)版」もこちらに残しておきます。

春、特に梅を詠む歌が多いです。梅はやはり「天下の魁」として好んだのでしょうか。それとも、妻ウメを思いながらの歌でしょうか。108・109は離縁した妻への心情を詠んだものではないかと思います。
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 若草
鶯も花の姿を尋ねらむはや若草の道しるべにて
花を待つ頃とはなりぬ若草の春知り顔に生え出でにけり
山の端はまだ消えやらぬ雪ながら都の野辺に若菜つみけり
(山の端はまた消えやらぬ雪なから都の野辺に若菜つみけり)
81=雪の残る春の若菜つみは古代からよく歌に詠まれている模様。これは古今「み山には松の雪だに消えなくにみやこは野辺の若菜つみけり」が本歌?古今「君がため春の野にいでて若菜つむ我が衣手に雪は降りつつ」(仁和天皇)も有名ですよネ。

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 桜
千早振る神代のまゝの桜花世の憂き事は知らで咲くらむ
(千早振神代のまゝの桜花よのうきことは知らて咲くらむ)
82=「千早振る」は「神」の枕言葉

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 梅
見よや見よおのがえならぬ花の香に折り尽くさるゝ野路の梅ヶ枝
鶯を誘ふしるべや梅の花香を春風にたぐひてぞやる
百千鳥よしや啼くとも梅の花鶯ならで香をな散らしそ
(百千鳥よしやなくとも梅の花鷺ならて香をなちらしそ)
梅が香の下行く水の便りにも誘はれて鳴く鶯の声
いづれをか分きて折らましうす雪の積れる夜半の梅の下枝
降り積る雪の下より咲き出でて匂ふも春の花の魁
(降り積る雪の下より咲き出てゝにほふも春の花の魁)
冬の日は雪に埋れし梅の花今日を春べと咲き匂ふかな
憂しと見し仮の旅寝の宿りにも梅は都に劣りやはせぬ
(うしと見しかりの旅寝のやとりにも梅は都に劣りやはせぬ)


84=古今「花の香を風のたよりにたぐへてぞ うぐひすさそふしるべにはやる」(紀友則)が本歌?

88・89=「天下の魁」としての梅を詠む歌。
90=梅の季節の地方の旅。慶応3年春の九州出張時?

*「遺聞版」では、85と88・89は別々に収録されている。

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 月夜の梅
山の端の静けき月に梅の花今一しほの香をや増すらむ
おぼろ夜の月の影さへ匂ふかな軒場に近き梅の盛りは
梅の花匂ふあたりは夜もすがら月の影さへ惜しまるゝかな
色も香も匂ふあたりは月影のさすがに花の惜しまるゝかな

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 青柳
いかばかりゆかしく見ゆる姿かな風にまかする春の青柳
争わぬ姿ながらも春風に吹き乱さるゝ青柳の糸
(あらそはぬ姿なかたも春風に吹き乱さるゝ青柳の糸)

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 春風
香のみは伝えおこせよさりながら花は散らしそ春の山風
(香のみは伝へおこせよ去りなから花なちらしそ春の山風)
佐保姫の霞の衣吹き払ひ花の姿を見せよ春風
97:文法的には『遺聞版』の「な〜そ」が正しい。
98:佐保姫は、奈良の佐保山の女神で春を運んでくるといわれている。

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 霞
咲き匂ふ花の姿を嫉しとや霞は野辺に立ち隠すらむ
淡く濃く錦に包む綾なれば霞は春の衣なるらむ
桜色に染めし衣と見ゆるかな花咲く山に着せし霞は
(桜色に染めし衣と見ゆるかな花さく山にきする霞は)

103
 山吹
谷川の流に咲ける山吹の言はね色香になほまどひけり
(谷川の流に咲ける山吹のいはぬ色香になほまとひけり)

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 春雨
しみじみと語ふ夜半の春雨は袖の濡るるも厭はざりけり
眺め飽かぬ花の名残の惜しまれて降る春雨に濡れそぼちつゝ
春雨に幾たび袖を絞るらむ眺めも飽かぬ花の名残に
(春雨に幾たひ袖をしほるらんなかめもあかぬ花のなこりに)
春雨に濡れながら、友と?しみじみ語り、散り際の桜を飽かずながめる夜・・・。

107
108
 時鳥
時鳥待つ夜は数多語らはで思ひ捨てたる枕にぞ聞く
(時鳥まつ夜は数多かたらはて思ひすてたる枕にそきく)
忘れずも問ふぞ嬉しき時鳥幾歳馴れし宿の垣根に は
106:時鳥(ほととぎす)が鳴くのを無心に待つ穏やかな夜の歌。時鳥(ほととぎす)は夏の季語。夜に姿を見せずに鳴くので、忍ぶ恋ともとれるけど、ここは本物の鳥。107と同時期とすれば、同志との旅の最中?
107:年来の馴染みの宿。その垣根で、今年もまた時鳥が鳴いたのを、自分を忘れず呼びかけてくれたように思えて思いがけずも嬉しい歌^^。




109



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 春
真心のもとの色香の変わらずば立ち帰り来ん春にあはまし



過し日の操の色の変わらずばまた来む春に逢はましものを


離縁した妻ウメへのやるせない心情を詠んだ歌ではないかと思います。ウメは、伊東の身を案じるばかりに母こよが病だとウソをついて江戸に呼び戻し、江戸に残るよう懇願しますが、伊東はウソをつかれたことに激怒し、離縁を言い渡したとされています。

108=あなたの真心が色あせずもとのままでありさえすれば、春が必ず訪れるように、わたしも春にはあなたの下に帰り、また逢うことができただろうに。

109=過ぎた日にあなたが守ってきた操(伊東を固く信じる気持ち?)が変わりさえしなけければ、また来る春に逢うことができたものを。

他の和歌でも伊東は「真心」を詠っており、伊東にとっては、人として非常に大切なことだった模様(「真心」といえば、本居宣長を連想するのですが、そこからきているのでしょうか)。その大切な真心を裏切られて傷つき、それでも妻への思いが断ち切れぬ心情が「あはまし」(まし=反実仮想)に込められているのではと思います。

ウメへの心情を詠んだ歌だとすれば
「美しき人の守りぞ真心のかはらぬ色に花も咲くべき」「いかにせむ都の春も惜しけれど馴れしあづまの花の名残を」とも関係のある歌かもしれないと思っています。(素人解釈を準備中です)

111
 半衰翁の身まかりけるを聞きて
たのまめや憂き世の中の行末よたづぬる人ははや苔の下
2004.4.26, 5.13

小野(『新選組覚書』)&子母沢(『遺聞』)版(原本どおりではありません)
(1)上京、望郷、山南割腹弔歌等 (2)恋、志、等 (3)春・真心(妻への別離)? (4)慶応3年・九州出張等 (5)歴史上人物等

原本版
(1)上京、望郷、山南割腹弔歌等 (2)恋、志、等 (3)春・真心(妻への別離)? (4)慶応3年・九州出張等 (5)歴史上人物等

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歌の出典:『新選組覚書』収録の「残し置く言の葉草」
()内は『新選組遺聞』収録分。順番は『覚書』に沿っています

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