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D−1 残しおく言の葉草(原本からの活字化)

「残しおく言の葉草」は京都の悟庵という人物が撰した189首から成る伊東甲子太郎の家集です(ミセケシ線で消された1首を含む。また、南北朝・戦国武将やその妻や母が詠んだ歌が28首で、伊東自身が詠んだ歌、その他古歌少なくとも5首が確認されたので、実際に伊東が詠んだ歌は156首程度である)。伊東の弟鈴木三樹三郎が新政府軍一員として出陣する前(慶応4年6月中旬以降?)、悟庵を訪ね、「いまは東路に出立つ身なれば明白の命は白雲の消えなんもおぼつかなし、この巻をよきに撰び給わるべし」と、伊東の詠んだ歌を草紙のまま差し出して依頼したのだそうです。悟庵は歌集の巻頭の句のかしらをとって「残しおく言の葉草」と名づけました。歌集のはしがきの日付は慶応4年7月末日とされています。

悟庵は歌集を撰した目的に「武明(伊東)ぬしの赤き心をあかさんと、後の世の御国思いの人々に伝えん」ことを挙げていますが、歌集からは、国事に命をかけるかたわら、同じ強さで同志(友)や家族を思い、恋に苦しみ・喜び、真心を大切にし、故郷を懐かしんで涙する・・・等身大の伊東の姿が浮かんでくる気がします。残された資料が少ないといわれる伊東ですが、わたしは彼が心をこめて詠んだであろうこれらの歌は、単なる歌に終らず、伊東そして衛士を探究する鍵の一つだと思っています。

まずは、歌を簡単なコメントとともにご紹介し、少しずつ、素人解釈をつけていこうと思います。(コメントや解釈を盗用しない/やおい等に悪用しないと約束できない方は読むことをご遠慮ください)。

2004.8.24(2006.12.19最終修正)

             原本判読版(分類・項目名は管理人)
(1)上京、望郷、山南割弔歌等
(2)恋、志、中山道中等未刊行歌(2004.8現在)有 (3)春の歌、真心(離縁した妻への思い?)等 (4)慶応3年秋九州出張等 (5)武将の妻・母の歌(伊東が選んだ歌)など

  
「残しおく言の葉草」原本(鈴木家で管理人が撮影したものを同家の許可を得て掲載しています)

小さな発見:「残しおく言の葉草」は小野圭次郎(『新選組覚書』)・子母沢寛(「伊東兄弟」『新選組遺聞』:によって活字化されています。このサイトでUPし出したのは、いろいろあって2004年1月だったのですが、収録数の多い小野版(『覚書』)を底本にし、参考までに()内に子母沢版(『遺聞』)の当該歌(題)を示しました。ところが、作業を進めていくうちに両者間では漢字・かなの表記(時には言葉も)が違い、また題や収録順序も違うことに気づきました。小野版には明らかな誤記もあることに気づきました。原本と比較したいとの思いは高まるばかりでしたが、同年7月末に所蔵者鈴木家と研究家市居浩一氏のご厚意で原本及び原本コピーに接することができました。そこで比較したところ、小野版も子母沢版も原本との違いが想像を超えていることがわかりました。まず、小野版と原本は順序がかなり違いました。また、上京中の東海道中を詠んだ歌に別の時期の中仙道中の歌が紛れこんでいて混乱していましたが、原本では東海道・中山道の歌は別々の場所に収録されており、すっきりしていました。小野版では原本には含まれていない歌(九州行道中記掲載の歌)が追加されていました。題や語句が変えられている歌もありました。さらに、原本には小野版に含まれていない、つまり未発表の歌が数首含まれていることもわかりました。その中には伊東のものではない古歌(おそらく伊東がメモ代わりに書き付けた歌)も数首あります。そこで改めて原本版(上)を作成することにしました。管理人は素人ので細かい点で読み違いがあるかもしれませんのでご承知ください(なので引用はしないでね)。比較のために、小野版も残しておきます。いずれ、比較対照版も作成できればと思っています。それにしても、新選組本は毎年のように出ているのに、このような基本的なことが今まで問題にされなかったとは・・・・・・。いかに、伊東の研究がおざなりだったかがわかりますよね(涙)。(2004.8.24)

参考用:小野圭次郎(「伯父伊東甲子太郎武明)」&子母沢寛(「新選組遺聞)」版↓

(1)上京、望郷、山南割腹弔歌等 (2)恋、志、等 (3)春の歌、真心 (4)慶応3年、九州出張等 (5武将の妻・母の歌(伊東の歌ではない)など

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