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年号 (西暦) |
歳 | できごと |
元治1 (1864) |
30 | *3月−天狗党の筑波挙兵。 8月−天狗党応援の有志約60名が上野の雁鍋屋に集合。兄・甲子太郎(伊東大蔵)も参加したが久留米の志士古松簡治より忠告を受け、応援に加わることを控える。その頃、兄・甲子太郎に、天狗党の迫る志筑の様子をみるよう依頼されて江戸を出発。志筑への途上、土浦の桜井旅館で天狗党とかちあうが互いに警戒して言葉を交わさず。叔父川俣彦三郎を介して、藩に「危急の際なので微力を尽くしたい」と申し出る。許可されて、住宅を与えられ、以来、藩内警備にあたる(藩士として再び取り立てられたようだ。「本堂家家中分限帳」(後述)より)。侵入のないまま天狗党が去る。(『千代田町史』によれば、実は、志筑藩は天狗党ととりひきをしていた)。ある日、藩から辞令が下ることになった。天狗党も去った今、志筑に留まるつもりはなく、辞令をもらう前に出奔した方がよいと考え、江戸に向けて出発。(以上、「伯・岳」) 9月−三樹三郎(三木荒二郎)、志筑藩より隠居料二俵授かる(「本堂家家中分限帳」)←たぶん、未発表資料。『高台寺党の人びと』著者の市居浩一氏から教えていただきました。この件についてはいつか現地調査を含めたフォローアップ調査をして、「覚書」にUPしたいです。 10/15−江戸での新選組隊士募集に応じて、加入希望者として(入隊はしていない)兄・伊東甲子太郎らとともに上洛のため江戸出発。(このとき、三木三郎を名乗る)。 *改名時期は不明だが、兄が上洛を期に改名しており、三樹三郎も同じだったのかもしれない。) 10/27−一行、京都に着く。甲子太郎(以後、伊東)らとともにはしばらく近藤妾宅に遊食する(『殉難録稿』)*伊東らは遅れて入京した可能性もあり。 |
慶応1 (1865) |
31 | 6/16−大坂出張中の三樹三郎(三木三郎:当時目付)、天満宮総代に会ってその丁重さに感心される。 *** 慶応元年6月15日、新選組目付方から、明朝までに組の下宿先まで出頭するようにと回状を以て稲荷、座摩、御霊、天満、生国魂の五社に対し達しがあったので、翌朝当社の氏子代表大道吉儀が、羽織袴で恐る恐る連中の下宿先である下寺町の寺へ出頭したところ、三木某と名乗る隊士が、 「格別のことでもないが、今年の夏は、当地の主な神社は皆祭礼を中止されるとか聞及んだので、如何なる理由で取止められるのか、その辺のことを承りたく御足労願ったわけである」 と言うので、大道が、 「時節柄、今年は取止めてはという内示が執奏家よりありましたので取止めることに致し、その旨執奏家、奉行所にもお届け済になっております」 と答えたところ、三木某は 「こういう時節柄故、祭礼は却って盛大におやりになったら宜しかろうと存じる。諸藩の浪士共が入り込み、形勢不穏というのであれば、祭礼の警衛は我々が責任を持って担当する積りである」 と申出てくれたが、今年は既に中止する積りで、神輿などの修理もしていないし、これから予定を変更しても、祭礼日までには準備が間に合わぬからと、厚意を謝したところ、相手もよく諒承してくれた。 新選組というのは、例の壬生浪であろうが、応接など頗る丁重だったのはいささか意外であった。なおその時三木某は、 「我々も近く京へ引揚げ、禁裏の守衛に当ることになっている」 など、問わず語りに話していた。 (「滋岡家目録」『高台寺党の人びと』引用部分より) *** 夏−新編成で、九番隊組長に任命される。(「壬」) |
慶応2 (1866) |
32 | 不明 *12月−慶喜、第十五代将軍就任。孝明天皇死去。 |
慶応3 (1867) |
33 | 1/18−伊東・新井・三樹(三木)ら島原木津屋で酒宴の後、伏見寺田屋へ。寺田某と合流その後、九州に向かう伊東を見送るため、舟で淀川を下り、大坂へ。(「九」)。 |
3/10-朝廷の武家伝秦より、伊東ら十数名、山陵奉行戸田大和守配下御陵衛士を拝命。(山陵掛御用議奏柳原光愛からという説あり) 3/12-伊東・新井、昼に淀川を下って帰京。夜に同志と会う。三樹もいたはずである。(「九」) 3/20−新選組から分離。(「九」)三樹三郎を名乗る。(衛士時代は三木和泉という名もみられる) 3/21-御陵衛士、五条東善立寺に移る(「九」) |
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8/8−伊東・斎藤・藤堂・三樹柳原前光・板倉伊賀守に長州寛大処分の建白 | ||
11/18−油小路事件。。(参照:伊東、新選組に暗殺される、油小路事件) 11/19-三樹、加納、富山、今出川薩摩藩邸に入る。 11/21-伏見の薩摩藩邸に移る |
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不明 |
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