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文久2年9月25日(1862.11.16)
【江】攘夷奉勅:松平春嶽・横井小楠、一橋慶喜に破約攘夷を入説
【京】武市半平太、青蓮院宮に慶喜上京延期を入説
朝廷、九条尚忠・岩倉具視らの洛中居住禁止

■破約攘夷奉勅VS開国上奏
【江】文久2年9月25日、政事総裁職松平春嶽・顧問の横井小楠は、後見職一橋慶喜を訪問し、攘夷決戦の覚悟を定めるように入説しました。


大目付岡部長常(駿河守)・目付山口勘兵衛も同席していました。一同は、春嶽の主張である攘夷決戦の覚悟を定めることには大筋で同意しましたが、条約破棄は難事であるとの意見があり、決議にはいたりませんでした。

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幕府は、9月7日、明春の将軍上洛を布告し(こちら)、同月16日には後見職の慶喜が先発上京して開国上奏することを内決しました(こちら)。春嶽は、、19日、藩論である決戦覚悟の破約攘夷(→公議による自主開国)を主張して開国上奏に異議を唱えましたが、老中らの反対で、決議には至りませんでした(こちらこちら)。 その後、23日、在府の長州藩士が春嶽を訪れ、攘夷の幕議確定を求めると(こちら)、24日には前土佐藩主山内容堂が春嶽を招いて攘夷奉勅の覚悟を促しました(こちら)。これはいよいよ破約攘夷しかないと、改めて持論を主張しにいったのではと思います。

参考:『続再夢紀事』一(2003.11.16)
関連: 関連■テーマ別文久2「国是決定:破約攘夷奉勅VS開国上奏 「横井小楠」 ■越前藩日誌文久2

■第2の勅使(攘夷別勅使)東下
【京】文久2年9月25日、所司代は勅使三条実美・姉小路公知の東下を通知しました。

この報は9月中に江戸に達します。26日の京便が10月1日に江戸に届きますので、9月30日に届いたのではないかと推測します。

参考:『続再夢紀事』一(2003.11.16)

■慶喜の上京延期
【京】文久2年9月25日、土佐藩士武市半平太は、青蓮院宮に後見職一橋慶喜上京延期及び藩主山内豊範の勅使随行を入説しました。


青蓮院宮はこれを嘉納し、偶々来邸した長州藩士前田孫右衛門に命じて、近衛忠煕関白に慶喜上京延期を勧告させました。『維新土佐勤王史』によれば、青蓮院宮は「固より瑞山を重んぜらるにより、病を力めて」会ったのだそうです。

参考:『維新土佐勤王史』(2003.11.16)
関連: ■テーマ別文久2「慶喜の上京延期問題
■公武合体派排斥
【京】文久2年9月25日、朝廷は、九条尚忠・岩倉具視らの洛中居住を禁止しました。

参考:『徳川慶喜公伝』2(2003.11.16)
関連: ■テーマ別文久2「公武合体派排斥・「天誅」

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