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元治2年1月27日(1865.2.22)
【京】所司代松平定敬に、18日の勅に従った長州処分のための将軍上坂(あるいは上京)の朝命をかさねて伝達
【京】会津藩公用方広沢富次郎、中川宮に先日の件の話をする

☆京都のお天気:晴 (嵯峨実愛日記)
>将軍上洛問題
【京】元治2年1月27日(2.22)、朝廷(伝奏)は、所司代松平定敬に対し、18日の勅に従った長州処分のための将軍家茂の上坂あるいは上京の命をかさねて伝達しました。

<ヒロ>
幕府は征長総督使者の報告を受けて、1月15日に長州処分の江戸における決定と将軍進発中止を布令しましたが(こちら)、入れ違いで、朝廷は18日に長州処分のための速やかな将軍上坂を命じていました(こちら)。この日の朝命は、18日の勅を優先させて長州処分のために上坂(あるいは上京)をするよう改めて命じたものになります。

参考:「国事私記」(綱要DB1月27日条No148)(2019/1/7)
関連:■「テーマ別慶応1」将軍上洛問題 

>有力諸侯召集問題
【京】元治2年1月27日(2.22)、肥後藩留守居役上田久兵衛は一橋家に呼び出され、藩主弟長岡良之助(細川護美)宛ての慶喜の直書(返書)を預かりました。

<ヒロ>
翌28日に久兵衛が一橋家臣川村から打ち明けられたところによると、書状の内容には「列藩召相止候」が含まれていたそうです。詳しくは1/28の「今日」で。

参考:上田久兵衛の日記『幕末京都の政局と朝廷』p245(2019/1/20)

【京】元治2年1月27日(2.22)、会津藩公用方広沢富次郎が中川宮を訪ね、「先日ノ儀」について種々話ました。(なお、前26日には公用人倉沢右兵衛が中川宮を訪ねています)

<ヒロ>
「先日ノ儀」は、1月24日の話の内容(容保東下及び尾張藩の内願による諸侯召集諌止)を指していると思います(こちら)。ちなみに、この日は、薩摩藩士高崎猪太郎(五六)も年賀のために中川宮を訪ねています。

参考:『朝彦親王日記』一p121(2019/1/13)
関連:■「テーマ別慶応1」有力諸侯召集問題 

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