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■攘夷期限 【京】文久3年2月10日、朝廷は、幕府に対し、後見職・総裁職で相談の上、将軍上洛前に攘夷期限の内奏するよう督促する沙汰を出しました。 その大意は<攘夷の策略・拒絶の期限は将軍上洛の上で奏聞すると昨冬に言上があったが、将軍は未だ上洛せず、有志らの疑念を生じさせ、人心粉擾を極め、容易ならぬ時勢となるのではと天皇は心配されている。後見・総裁の両職が上京したのだから、将軍の上洛がなくても、両人の意見で決定し、速やかに内奏せよ。表向きには将軍上洛の上でも可能である>(『徳川慶喜公伝』の「璞記抄」引用箇所より意訳byヒロ)というものでした。 <ヒロ> 前日の姉小路公知ら急進派派公卿12名の関白鷹司への列参(こちら)が功を奏したのでしょうか。これも、『続再夢紀事』にはのっていません。編集時に漏れたのでしょうか。越前藩側の動きがわかれば面白いのに、ザンネンです。 参考:『徳川慶喜公伝』2(2004.4.3) 関連■テーマ別「攘夷期限」■開国開城:「幕府の公武合体派連合(幕薩連合)策」 「後見職・総裁職入京-公武合体策挫折と攘夷期限」 ■浪士対策 【京】文久3年2月10日、総裁職松平春嶽は、関白鷹司輔熙に、「国内人心一和」のために「有志」浪士処遇の朝議を固めるよう促す建白書を提出しました。(草案はこちら) 参考:『続再夢紀事』一p368-369(2004.4.3) 関連■テーマ別「浪士対策」 |
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