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■攘夷親征(賀茂行幸) 【京】文久3年3月2日、朝廷(伝奏)は幕府(所司代)に対し、賀茂上下社への行幸を行うので将軍が随従するようにとの内沙汰を伝えました。
参考:『続再夢紀事』一p399(2004.4.19) 関連:■開国開城:「加茂・石清水行幸と長州藩の攘夷戦争」■テーマ別文久3年:「攘夷期限」「攘夷親征」 ■浪士対策 【京】文久3年3月2日、中川宮は越前藩用人中根靭負と内談し、慶喜・春嶽に、浪士取扱・鵜殿鳩翁に江州八幡浪士の鎮静を命じるよう要請しました。 この日、呼び出された越前藩用人の中根靱負(雪江)と中川宮のやりとり(口語訳by管理人)↓
中根は二条城に戻って、慶喜・春嶽と協議しました。その結果、両人に沙汰があれば鳩翁に鎮静させることに決まりました。 <ヒロ> 浪士が京都に乱入するなら守護職の職掌ではないかと思うのですが、容保の名が出てこないのは、足利木像鳩首事件の犯人を捕縛した件(こちら)で、激派公卿はもちろんのこと中川宮の顰蹙もかっていたからではないかと推測しています(こちら)。容保の代わりに中川宮と鷹司輔熙関白が白羽の矢を立てたのが浪士組の鵜殿鳩翁になるわけですが、この人選は配下の浪士組の武力を背景とした説得を期待されたのでしょうか?だとすると、議奏が鳩翁が信頼できないと言っているのも、浪士組をもって江州浪士を鎮圧という事態になることを恐れてのことではと思います。 参考:『続再夢紀事』一p397-398(2004.4.19) 関連:■テーマ別「浪士対策」■開国開城「天誅と幕府/守護職の浪士対策」 |
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