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文久3年4月19日(1863.6.5)
幕府の緊急会議。一橋慶喜、攘夷期限を5月10日とすることに決める

■攘夷期限&将軍東帰
【京】文久3年4月19日、一橋慶喜は、攘夷期限を5月10日とすることに決めました

この日、慶喜は前日の勅問について緊急会議を開き、「到底行われざる攘夷なれば、亦行われざるほどの期日に定むべし」と、わずか20日後の5月10日を攘夷期限とすることに決めたのだそうです。

○おさらい
将軍上洛前、朝廷から攘夷期限設定を督促された幕府は、最初、将軍滞京10日帰府後20日以内(こちら)、次に4月中旬と回答してしまい(こちら)、その後、さらに具体的に4月23日と約束していました。しかし、もともと攘夷を行う気はなかったので、期限が迫る18日、とりあえず将軍家茂が京都を去るしかないと決め、その口実として、将軍の大阪湾巡視及び鎖港攘夷のための慶喜東帰を願い出ました。( これより先、幕府は、生麦事件償金交渉指揮を名目に将軍東帰を奏請しましたが、許されず、3月18日、朝廷から、(1)将軍滞京による京都・近海守衛、(2)大坂における生麦事件償金拒絶交渉実施、(3)将軍による摂海攘夷戦争の指揮、を命じられていました(こちら)ので、東帰を願い出るわけにはいきませんでした)。

これに対して、朝廷は、慶喜東下による攘夷期日を明らかにすること及び将軍が帰京して報告することを求めたので、幕府にとってはいわばやぶへびとなっていました。

関連:■開国開城「攘夷期限約束」■テーマ別文久3年:「攘夷期限」「生麦事件賠償問題と第1次将軍東帰問題」「第2次将軍東帰問題と小笠原長行の率兵上京」「長州藩の攘夷戦争
<参考>『徳川慶喜公伝』2(2001.6.4. 2004.6.15)


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