6月の幕末京都 幕末日誌元治1 テーマ別日誌 開国-開城 HP内検索 HPトップ
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■横浜鎖港問題 【フランス】1864年6月20日(元治元年5月17日)、池田長発ら幕府の横浜鎖港交渉使節は、フランス政府とパリ約定を調印しました。 約定の内容は以下に整理する通り
横浜鎖港交渉使節(第2回遣欧使節ともいう)は、文久3年12月29日、仏国公使館通訳ブルックマンを伴い、仏国軍艦ル・モンジュ号に乗り、横浜を出港しました(使節派遣の背景・経緯)。上海で郵船に乗り換え、香港・シンガポール・セイロン・スエズ運河を経てマルセイユに到着。パリには3月16日に入りました。同24日にナポレオン三世に謁見し、将軍家茂の親書を渡して使命を伝達すると、4月2日から5月17日まで、仏国外相等と協議を7回行いました。 使節団の主要目的は江戸に近い横浜の鎖港でしたが、フランス側はこれを拒否し、逆に三港(横浜・長崎・箱館)の自由貿易港化、キンシャン号砲撃賠償、下関通航を主張して譲りませんでした。横浜鎖港が不可能だと知った使節団は、鎖港交渉を打ち切り、他の国を歴訪もとりやめて帰国することにしました。一連の協議における合意事項はパリ約定にまとめられました。 各協議の概容は以下の通り。
関連:■テーマ別文久2「国是決定:破約攘夷奉勅VS開国上奏」同文久3年「横浜鎖港問題(1)」同元治1 「横浜鎖港問題(元治1)」 ■開国開城「25:横浜鎖港問題と将軍再上洛」、「26:参豫の幕政参加・横浜鎖港・長州処分問題と参豫会議の崩壊」 参考:『維新史』三p222-236(2012/4/8) *** 管理人より: 元治1年5月の「今日の幕末」は飛び飛びです。日々の動きを簡単に知りたい方は、こちら |
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