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元治1年5月16日(1864年6月19日)
【坂】将軍家茂、大坂出港

【坂】元治元年5月16日、将軍家茂は軍艦翔鶴丸に乗り、大坂を出港し、海路江戸に向かいました。

朝廷は、4月20日、幕府に対し庶政委任の勅書及び重要事項四条の勅書を与えました(こちら)。将軍家茂は、29日、請書を提出すると(こちら)、鎖港攘夷成功の勅諭とともに東帰の許可を得ました。2日、将軍は暇乞に参内しましたが、その折、朝廷は慶喜に鎖港決行・滞京、政事総裁職松平直克に帰府・水戸藩主徳川慶篤(在府)と協力しての横浜鎖港尽力、老中稲葉正邦・水野忠精に滞京・守衛を命じました(こちら)。将軍は5月7日に退京しましたが、暫時大坂に留まり、摂海防御を巡察した後、海路江戸に向かいました。 艦隊の指揮は軍艦奉行に昇進したばかりの勝海舟(安房守)がとりました。江戸(品川)には20日に着きました。

○水戸藩による将軍帰府前の攘夷実行入説
江戸藩邸から切迫した情勢を知らされた水戸藩は、5月9日、家老鈴木重義らを下坂させて、禁裏守衛総督・摂海防御指揮の一橋慶喜に対し、鎖港実行までの将軍の大坂滞留(あるいは将軍帰府前の攘夷断行)を入説していました(こちら)。慶喜は同意したものの、老中に反対され、実現しませんでした。

参考:参考:「海舟日記」『勝海舟全集』1p152、『維新史料綱要』五、『水戸藩史料』下p612-613 (2012/4/7) 
関連:■開国開城「25:参豫会議の誕生・将軍再上洛と公武合体体制の成立」「26:参豫の幕政参加・横浜鎖港・長州処分問題と参豫会議の崩壊」27:慶喜の禁裏守衛総督就任と庶政(大政)委任の再確認」■テーマ別元治1「三港閉鎖問題と将軍東帰
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管理人より:
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