6月の「今日の幕末」 幕末日誌文久2 テーマ別文久2 HP内検索 HPトップ
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■将軍上洛問題 文久2年5月26日、幕府は将軍家茂の上洛を決定しました。 将軍上洛は長州藩が建議しこちら)、家茂自身も上洛を望んでいました。春嶽・老中らが上洛決定を家茂に告げると、大変喜び、冬にでも上洛したいと述べたそうです。しかし、春嶽は、上洛時期については確実な見込みがつけにくく、一旦布告の上、延期となっては不都合であるので、まず上洛の趣意だけを布告するよう助言しました。また、御三家及び一橋慶喜を召し出しての懇話を勧め、これも嘉納されました。 関連:■テーマ別文久2「将軍徳川家茂上洛問題」 ■所司代人事 【江】文久2年5月26日、京都所司代を大坂城代本庄宗秀に任命する件については、幕政参与の会津藩主松平容保が反対の意を示したため、決定することができませんでした。このため、容保に京都鎮撫を命じ、所司代の事務を兼任させてはどうかとの内評がでたそうです。 一方、内藤信親は老中辞職の内願が容れられ、罷免されました。 <ヒロ> この所司代人事の迷走が、京都守護職の設置につながり、会津藩は京都政局に大きくかかわることになっていきます。 関連:■テーマ別文久2」「京都所司代人事」■「開国開城」「安政5〜6(1858〜59):戊午の密勅と安政の大獄」「文久1(1861):公武合体策と和宮降嫁」「文2:勅使大原重徳東下と文久2年の幕政改革」 |
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