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文久2年5月26日(1862.6.23)
【江】幕議、将軍家茂上洛を決定
【江】所司代(3)容保、本庄宗秀の所司代任命に反対

■将軍上洛問題
文久2年5月26日、幕府は将軍家茂の上洛を決定しました。

将軍上洛は長州藩が建議しこちら)、家茂自身も上洛を望んでいました。春嶽・老中らが上洛決定を家茂に告げると、大変喜び、冬にでも上洛したいと述べたそうです。しかし、春嶽は、上洛時期については確実な見込みがつけにくく、一旦布告の上、延期となっては不都合であるので、まず上洛の趣意だけを布告するよう助言しました。また、御三家及び一橋慶喜を召し出しての懇話を勧め、これも嘉納されました。

関連:■テーマ別文久2「将軍徳川家茂上洛問題

■所司代人事
【江】文久2年5月26日、京都所司代を大坂城代本庄宗秀に任命する件については、幕政参与の会津藩主松平容保が反対の意を示したため、決定することができませんでした。このため、容保に京都鎮撫を命じ、所司代の事務を兼任させてはどうかとの内評がでたそうです。

一方、内藤信親は老中辞職の内願が容れられ、罷免されました。

<ヒロ>
この所司代人事の迷走が、京都守護職の設置につながり、会津藩は京都政局に大きくかかわることになっていきます。

関連:■テーマ別文久2」「京都所司代人事」■「開国開城」「安政5〜6(1858〜59):戊午の密勅と安政の大獄」「文久1(1861):公武合体策と和宮降嫁「文2:勅使大原重徳東下と文久2年の幕政改革」
<参考>『再夢紀事・丁卯日記』(2003.6.23)

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